安全地帯がソロアーティスト玉置浩二にもたらした深み ターニングポイントの楽曲から考察

 玉置浩二自身がどのあたりで本格的なソロ活動を意識していたのかはわからない(実は、1987年からソロ活動は始めている)。ただ、安全地帯というバンドで培ってきた繊細で影のある独特の世界観のなかでじっと様子を伺いながら、本来持っていた野生児的な側面や大人の男としての包容力を小出しにしてバランスを図っていたのだろう。その中でのトライの結実が「悲しみにさよなら」であり、前述したその後のシングルナンバーなのではないだろうか。そして、1993年以降にバンドのフロントマンから解放され、ソロ・アーティストとしての自由の身になったことで、「田園」や「メロディー」を歌えるスケール感のあるシンガーへと華麗に転身することができたのも、こういった楽曲を安全地帯のイメージにうまく溶け込ませていったからなのだ。

 こうして考えると、安全地帯のボーカリストとしてだけの活動であれば、玉置浩二はただたんに器用な歌い手というイメージで終わっていたかもしれない。かといって、ソロだけのキャリアであれば今のような深みのある表現力を持つアーティストにはなっていなかっただろう。彼は、安全地帯というイメージを大切にするバンドのフロントに立ちながらも、そのパブリックイメージに呑み込まれず、自身の個性を絶妙にバンドの個性へと落とし込み、いずれも両立させてヒットを飛ばすことができた。それこそが、玉置浩二のすごさであり、彼にとって安全地帯というバンドが重要である理由なのだ。

■栗本 斉
旅&音楽ライターとして活躍するかたわら、選曲家やDJ、ビルボードライブのブッキング・プランナーとしても活躍。著書に『アルゼンチン音楽手帖』(DU BOOKS)、共著に『Light Mellow 和モノ Special -more 160 item-』(ラトルズ)がある。
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