グリーン・デイは日本でどう地位を築いた? 元名物A&R井本氏が明かすバンドの軌跡と現在地

グリーン・デイの変わらぬ魅力

「何か決める際には絶対にメンバー3人で話し合う」

ーー改めて初来日の話についても聞かせてください。最初のジャパンツアーは1996年1月でした。

井本:初来日からプロモーターはずっとクリエイティブマン(プロダクション)さんなんですけど、ある日、今ではベテランの当時の若手スタッフさんから電話で「井本さん、グリーン・デイをやりたいと思うんですけど、どうですかねぇ?」と打診があって。「日本ではまだ全然売れてないし、ちょっとまだ早いんじゃないかな?」って応えつつ、しばらく様子を見てたんです。でもそういうところに目をつけるセンスというのは、クリエイティブマンさんのすごいところだと思います。で、そのセンスは間違ってなかった。『ドゥーキー』がだんだんと売れ始めて「そろそろできるかも」という頃には、バンドもすでに1,000人、2,000人のクラブじゃやれない規模感になっていて。日本でもその頃にはすでに10万枚ぐらい売れてたのかな。となると、東京では10,000人ぐらいいけるんじゃないの? ってことで、武道館でやりたいよねってことになったんですけど、当時はまだオールスタンディングのライブが主流じゃない時代。そこでクリエイティブマンさんがいろいろ頑張って晴海の展示場を探してきて、そこで日本では初めて9,000人規模でのパンクロックのオールスタンディングライブが実現したんです。

ーーそういう経緯があったんですね。僕もあのライブには足を運びました。

井本:そうでしたか。とにかく警備面も運営面も慣れてない初めて尽くしで、お客さん的にも初めて経験するものだったけど、結果的には成功したと。

ーー初めてメンバーとお会いした印象はどうでしたか?

井本:大阪で出迎えたとき、センシティブで眼力が強そうな印象を受けました。3人ともトンガっていて、ちょっと近寄りがたかったですね。音楽的にポップでメロディアスだけど、やっぱりパンクスなんだなって。最初はあんまり喋らなかったけど、何回か食事やボーリングを経て仲間のひとりとして認めてもらえたような気がします。それと一応メジャーデビューしたけど、インディースピリットあふれるパンクスだったので、何か決める際には絶対にメンバー3人で話し合うんですよね。それは僕らのプロモーションに対してもそうだし、ライブのやり方に関してもそう。バリケードの位置にいたるまでこだわりがあったりして、いろんな面でクリエイティブマンさんがかなり苦労したと思いますよ。

「フジロック空気銃事件の真相」

ーーそして2度目の来日が、1997年の『FUJI ROCK FESTIVAL』初年度。グリーン・デイは2日目のヘッドライナーとしてアナウンスされましたが、台風の影響で2日目が開催中止となってしまいます。あの来日時は高田馬場AREAでもライブをしましたよね。

井本:やりましたね。あれは当時ライブをほとんどやってなかった期間だったので、フジロック前にウォームアップしたいということで、たまたま見つかったのがあの300人キャパのハコで。すごかったですよ、ビリーも終わった後に酸欠気味でフラフラしてましたから。

ーーで、その数日後にフジロック。あのときのエピソードは当時、雑誌などでもいくつか目にしましたが。

井本:空気銃ネタですよね?(笑)……初来日のときはボーリング場に行って暇つぶしをしたけど、2回目の来日のときはその暇つぶし方法が空気銃遊びだったんです。彼ら、フジロックに出演するいろんなバンドに向かって撃っちゃうんですよね(笑)。危ないじゃないですか、周りに関係ない人がいたりすると。けどグリーン・デイチームはそういうところはきっちりしていて、無線で連絡を取り合って周りに誰もいないタイミングを狙うんです(笑)。

ーー(笑)。

井本:ひとしきり某2組のバンドを狙い続けていると、彼らから「いい加減にしてほしい」と抗議を受けるわけです。すると最後の最後に、当時一番勢いのあったあのバンドの……。

ーーえっ!?(笑)

井本:名前は挙げられませんが(笑)。あの人たち、怖そうじゃないですか。そのメンバーのボーカルを狙おうと。ボーカルひとりになった瞬間、無数のBB弾が襲うわけですよ。何をするんだと(笑)。もしどなたかその年に出演していたアーティストにインタビューすることがあったら、ぜひその話題を聞いてみてほしいです(笑)。

「日本で売る際にキャラを印象付けたかった」

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ーーここだけ切り取ると、相当メチャクチャなバンドに映りますが(笑)。

井本:ちょっとビジネスの話に戻しますけど、僕は日本で売る際にそういうキャラ付け、ヤンチャっていうキーワードをどうしても印象付けたかったんですよね。3人とも当時は童顔で、キャラ的にはカワイイじゃないですか。でもやっぱりトンガったところも見せたい。(『爆発ライヴ2!』のブックレットを開き)この学生服を着た写真は、初来日のときのものなんですけど、トンガってるけどちょっと面白い、そういうイタズラ好きなところも見せたくて。特に脚色はしてないんですけど、そういうこぼれ話は僕が求めていたイメージにぴったりだったと。普通だったら隠したほうがいいことかもしれないですけど、これは全部世の中に出してしまえと思って、あえて出したということなんです。

ーーその等身大でリアルな感じが、バンドが大きくなっても身近な存在として親しまれる要因になったと。

井本:そうですね。でも最近残念に思うこともあって。以前は来日すると必ず小さいハコでもライブをやっていたのが、ここ数回の来日ではそれができてないんです。それに最近はカリスマになりすぎてしまって、今さら「隣のあんちゃん」に戻れないというのもあるのかな。

ーー楽曲的にも『アメリカン・イディオット』(2004年)以降、かっちりと作り込まれた作品が増えたことで、以前のように小バコでラフに見せることが少しずつ難しくなってしまったというのもあるんでしょうか?

井本:それもあると思います。今はサポートメンバーもいるし、できることなら「そういう小バコでのライブも久しぶりにやるといいんじゃないか」と提案したいんですけどね。

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