AAA、宇野実彩子・日高光啓・與真司郎が明かす“グループの過去、現在、そして未来”

AAA宇野・日高・與インタビュー

日高光啓「すごくいい時期にキャリアを積めた」

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――音楽に興味を持って、アーティストを志したのはいつ頃ですか。

日高:音楽自体を始めたのは中学2年のときで、職業にしようと思ったのは高校を卒業してからですね。就職活動に近いテンションでしたけど。

――10代の頃から音楽を仕事として考えていた?

日高:そうですね。中学に入ったときに“プロサッカー選手にはなれないな”と思ったんですけど、そのときから視野や好奇心がどんどん広がりまして、それがいちばん注ぎ込まれたのが音楽だったんです。中学2年生のときから様々な分野の音楽に惹かれて、ダンスやラップにも興味を持ってたんですけど、いちばん熱中してたのはドラムで。高校時代もバンドをやっていて、すごく調子良かったんですが、大学進学のときに“バンドを続けるかどうか”という話になって、結局、ボーカルが落語研究会に入っちゃったんですね(笑)。バンドはなくなっちゃんだけど、自分としては音楽を作る仕事に就いたほうがいいなと思って。大学を卒業するときは22歳になってるから、その前に社会を見たいなと思って、音楽業界について調べたんですよ。で、MAX松浦(松浦勝人・avexグループCEO)という人に興味を持ったんですね。貸しレコード屋から始まったというのもそうだし、(メジャーのレコード会社では)唯一、一代目の社長だったから。いま考えてみると“イノベーターとして惹かれたんだろうな”って思うんだけど、とにかく興味が湧いたから、直接話を聞いてみたいと思って、オーディションを受けるに至りました。そのときは両方考えていたんですよね。もし受かったら表に出るんだろうけど、そこから転がって、何かしら音楽の仕事をすることになるかもなって。

――何がなんでもアーティストとして活動したい、というわけではなかったんですね。

日高:小室哲哉さんというスター・プロデューサーがいたことも関係してると思うんですけど、その頃は“誰かに見出されるのがゴール”という人が多かったんですよ。でも、それはちょっと違うなって思ってたんです。“歌が上手い”でも“超ルックスがいい”でも何でもいいんですけど、何か特殊なものを持っている人がメーカーなり事務所の人と出会って“こういう条件で一緒にやりましょう”というのが正しいはずなのに“シンガーになりたい”とか“ラッパーになりたい”っていうのはおかしくない? って。“そんなの、明日からなれるじゃん”って思ってたので。

――AAAのメンバーとしてデビューしたときはどんなビジョンがあったんですか?

日高:とにかく学ぼうと思ってたかな。百聞は一見に如かずって言うけど、ホントにそうだと思ってたから、制作物の作業工程とか、関わっている人の人数、その人たちが何をやってるかということまで、全部を見たいなって。だからデビュー当時はよく会社に行ってました。そこで極力たくさんの人と話をして……みんな仕事をしてたから、迷惑だったと思うけど(笑)。

――(笑)スタッフのみなさんも嬉しかったんじゃないですか?

日高:どうでしょうね? いまはアイドルブームだから、若い子が多いじゃないですか。僕らがデビューした当時、19歳、20歳くらいの子って少なかったんですよね。会社の人たちにとって僕はぜんぜん年下だかったから、おもしろがられてたかもしれないですけど。

――そこで得たのは、どんなことですか?

日高:消費する立場、供給する立場の違いですかね。当たり前ですけど、消費する立場の人って、世の中に出回ったものしか見れないじゃないですか。パッケージされた音楽しか聴けないし、情報が解禁されるタイミングまではその情報は生活のなかにないわけで。だけど供給する立場の人は、その前の段階でいろんな試行錯誤をしてるんですよね。計算され尽くされているようにも見えるけど、時間には限りがあるし、人間がやることだから、思い切りミスをしたまま世の中に出てしまうこともあるっていう。要は“裏側には絶対に人間がいる”ということですよね。

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――19歳、20歳の頃にそこまで高いリテラシーを身に付けていて、自分がパフォーマーとして人前に出るときはどんなスタンスを取っていたんですか?

日高:いや、そこはもう全部つながっていると思ってました。当時の自分に聞いてみないとわからないこともあるけど、間に挟むものが多かれど少なかれど“発信するのは人間で、受け取るのも人間”というのは変わりないなって。だからこそ、ライブを大切にしてきたんですよね。ライブは間に挟むものがほぼゼロだから、いちばん正解に近づきやすいんですよ。正確に言えばゼロではないんだけど、ゼロに感じてもらう、もしくはゼロ以上に感じてもらう――“あなたは私の一部だ”みたいな――ことを考えるべきだなって。パッケージしたものを渡すときも、作り方ひとつ、言葉の使い方ひとつで、受け取られ方も変わる。ただ、5年前にいちばん届いていたやり方は、いまのいちばん届くやり方じゃなかったりするじゃないですか。僕、いちばん嫌いな言葉が“CDが売れない時代”なんですけどね。

――ただ、AAAがデビューした2005年以降、音楽シーンの在り方が様変わりしたのは事実ですよね?

日高:そうですね。ホントにラッキーだったなと思うのは、デビューしたのがCDバブルの時代じゃなかったってことなんですよ。CDがバカ売れしてた時代を知らないから、枚数が伸びないことに対しても、先輩たちとは感じ方が違うと思うんですよね。CDを出すことで、一生、生活していけるなんて考えたこともないので。ライブに対しても同じなんですよ。いまは“ライブでお金を稼がないといけない”というのがひとつの通念になってるけど、僕はそうじゃなくて“発信から受信までのプロセスをどう短くするか?”とうことを純粋に考えられたので。ホント、すごくいい時期にキャリアを積めたなって思います。

(取材・文=森朋之/写真=竹中圭樹【D-CODE】)

【インタビューの続きは『AAAぴあ』にて】

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