長渕剛が語り尽くす富士山麓ライブ、そして表現者としての今後「世の中に勇気としあわせの爆弾を落としていく」

長渕剛、富士山麓ライブを語る

「なぜだ?なぜもっとこっち来ない?」

ーーライブの内容についてうかがいたいと思います。まず、ヘリで登場されましたが、上空から見下ろした10万人の光景というのはどういう風に見えたのでしょうか?

長渕:青く光る生命体です。顕微鏡を覗いて細胞分裂が活発に行われているような……。田村(有宏貴キョードー東京 プロデューサー)に「見てみろ、この光を絶対忘れないようにしような」と話しました。あの漆黒の中でうごめく青い生命体の中に飛び込んで同化していくんだ……そういう気持ちになりましたね。

ーーそして実際に、青い生命体の中に飛び込んで行った。

長渕:その光がリアルな絵として自分の中に飛び込んでくるわけです。ステージに立ち、「さぁ、いくぞ!」と「JAPAN」を歌った瞬間、この巨大な空間に集まっている生命体をひとつにするんだぞ、という想いが一気に弾ける。とにかく必死だったんで、どこで何をやったのか、ほとんど覚えてないくらいで。ここ数ヶ月の映像編集で「こうだったのか」とあらためて思うことも多かったですね。

ーー僕ら観る側もあんなに壮大な光景を目の辺りにしたのははじめてですし、ヘリから降り立った長渕さんの気迫に圧倒され、「剛コール」のタイミングも見失ってしまうほどで。

長渕:「何が起きるんだろう」という、唖然とした感じでしたよね。「おまえらの声が聞こえない、聴こえない」という思いでいっぱいでした。「いつもと違うじゃねぇか!」って。でも、僕も違ったんだよね。登場してニコリともできませんでしたから。「これはやるしかねぇぞ」と。

ーーそういう意味で、いつものコンサートと比べて良くも悪くも会場の熱気が上がっていくまで時間が掛かりましたね。

長渕:長かったですねぇ(笑)。僕の感覚だと三部でしたね、たくさんの人がひとつになったと確かに感じることができたのは。「絆」で車転がしながらセンターステージに行く最中。そして、ステージに上がって「ああ、これがいつもの感じだ、よくぞおまえらここまで来てくれた!」というのが正直な気持ち。それまではどこか探り合いをしてたような感覚だった。「なぜだ?なぜもっとこっち来ない?」という。

ーー観客も「これは現実なのか?」「どうノッていいのか解らない」みたいな感覚がつかめないところがあったと思うんです。規模も時間も、何もかもがいつもと違う。

長渕:あまりに巨大すぎて、コンサートという感じじゃないんですよね。一部の終わり、「勇次」はわけ解らないくらいに号泣しながら歌ってたんだけど。僕自身、何十年歌ってきた歌は「もう歌わねぇぞ」という気持ちでステージに立ちましたから。あの臨場感の中でパーンと破裂したものが「勇次」の中でのリアルな言葉だったと思うんです。ステージからたくさんの泣いている人を目撃しました。あの涙って、どういう涙だったのかなぁ、とひとりひとりに訊いて回りたいくらい。同じ想いの涙だったらいいなと思っています。

ーー僕も泣いてましたけど、反面で「剛、大丈夫かな? まだ一部だし……」というのは、多くの人が思ったことではないかと。

長渕:実際、大丈夫じゃなかったんです。今までの自分の経験では為す術がないくらいに「おまえらの本気に着火するにはどうすればいいんだ?」ということを、ずーっと考えてましたからね。はじまって2時間過ぎたくらい、一部の終了間際でその想いが一気に出たんだと思う。それから二部に向けての間、一番休憩時間も必要だったし、苦しかったです。

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ーー二部では震災への想いが強く表れていて、「カモメ」「ひとつ」「しあわせになろうよ」という流れ、とくに浪江町の光景が映し出された「カモメ」が印象的でした。日米混合バンドが富士で、あの曲を演奏するというのは、深く意味のあることだったと思います。

長渕:日の丸と星条旗が「カモメ」という歌でひとつになる表現。これはスタッフ全員に解ってほしかったことでもありますね。来てくれたファンは一目瞭然で解ってくれたと思ってます。そういう質の拍手をもらえたんでね。

ーーあの映像も映し出された巨大なステージセット。着工前のデザインなどのイメージをお聞かせください。

長渕:“三角形”の縮図です。いつの時代も底辺の力が押し上げたところに、頂点がある。頂点に立つ、立たせてもらう責任というものも象徴していて。いくつか案があって、なぜかみんなこれを選びましたね。

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