「ロックバンド」と「お茶の間」は地続きに? レジーが“フェスから紅白へ”という新潮流を分析

紅白歌合戦とCOUNTDOWN JAPANの接近

 歌番組という話で言えば、2015年11月26日には毎年恒例となる紅白の出演者発表が行われたが、今回は例年以上に「落選者による悔しさの吐露」が取りざたされることが多かった印象がある。HKT48の指原莉乃がショックで涙したことが報じられたことに加え、ももいろクローバーZ(以下ももクロ)の「卒業宣言」も話題になった。

 ここで気になったのは、いつから紅白は「出られないと悔しいもの」になったか、ということである。もちろん「そもそも権威のある番組なのでずいぶん前から出られないと悔しいものだった」というのが正解だろうし「SNSによってミュージシャンが直接悔しさを吐露できるようになって可視化されただけ」という側面もあるのは理解しているが、少なくとも何年か前までは「紅白=終わったコンテンツ」という見方も支配的だったように思える。それがいつの間にか、多くのアーティストが出演を目指し、それを果たせないと悔しがるような場として「復活」した。NHKのバラエティ番組全体としてのブランド力強化、「あまちゃん」などの自社コンテンツの活用による番組そのものの魅力アップ、さらには震災に端を発した「“みんなが歌える歌”を求める風潮」との合致・・・いろいろな理由が考えられそうだが、個人的には前述のももクロをはじめとする多くの女性グループアイドルが紅白を「目標」として掲げるようになったことが大きいのではないかと感じている。多くの人気者たちの「物語」に「紅白への出演」が組み込まれることで、改めて紅白という場は魅力的なものになったのではないだろうか。

 一方、紅白と同じく今や年末の風物詩として定着した音楽イベントに『COUNTDOWN JAPAN』(以下CDJ)がある。CDJが始まったのは2003年で、その当時の出演者の多くを硬派なロックバンドが占めていた(斉藤和義や一青窈といったポップアクトも出演していたが、全体的にはロックバンド色が強かった)。もちろん紅白とは大きく距離のあるラインナップである。

 そんな歴史を踏まえて初回から干支が一回りした2015年、初日のEARTH STAGEの出演者を見ると隔世の感がある。最初のアクトであるゴールデンボンバーからレキシ、miwa、きゃりーぱみゅぱみゅ、BABYMETALと続く並びは「紅白の出演者」と言っても全く違和感がない(実際にゴールデンボンバーとmiwaは今回の紅白に出演している)。

 CDJの出演者が紅白に接近しているのと同様、今年の紅白にもCDJとの融合を思わせる要素が出演者発表の時点でいくつかあった。まず、「2015年の顔」として年末の歌番組に出まくっていた星野源とゲスの極み乙女。の初出場。ともに夏のROCK IN JAPAN FES.に出演し、それぞれ2日目のGRASS STAGEのトリとトップバッターを務めた彼らがこの冬選んだのは、CDJのEARTH STAGEではなくNHKホールの晴れ舞台だった。さらに、31日のEARTH STAGEに出演するBUMP OF CHICKENは中継で紅白に登場。12年前には全く対極のポジションにあった2つのイベントは、ついに物理的につながったのである。

 ここ最近の音楽シーンを解説する表現として「フェスで勝ち上がる(徐々に大きいステージに移っていく)」というものがあるが、それに倣うと2015年はその発展形として「フェスから紅白へ」という経路が生まれることになった。前述のMステと同様、ここにも「フェスという“わかりやすく盛り上がっている場”の力を取り込みたいテレビ」と「自らの影響力を幅広く行使したい(そのためには手段にこだわらない)アーティスト」の思惑の一致があると思われる。様々な音楽番組を通じて「お茶の間」にロックバンドが普通に浸透していた90年代、あまりマスメディアに姿を見せないアーティスト(例えばELLEGARDENやマキシマム ザ ホルモンなど)の台頭により「お茶の間」とロックバンドの距離が離れた00年代、サカナクションやSEKAI NO OWARIなどテレビも一つのメディアとしてフラットに活用するロックバンドが現れた10年代前半を経て、2015年末時点において「お茶の間」と「ロックバンド」は地続きのものとなった。

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