松尾潔が明かす、R&Bの歴史を“メロウ”に語る理由「偶然見つけたその人の真実も尊重したい」

松尾潔がR&Bの歴史を“メロウ”に語る理由

人間賛歌とメロウであること

――取材に関して言うと、『デスメタルアフリカ 暗黒大陸の暗黒音楽』という本が最近出版されて話題になってるんですが……

松尾:ああ、はい。知ってます。

――ハマザキカクさんという編集者が、インタビューから執筆、編集、DTPまで1人でやったというすごい本なんですが、アフリカのデスメタルバンドなんて調べるだけでも大変そうなのに、どうやってコンタクトを取ったのかと思ったら、フェイスブックなんです。フェイスブックでアプローチして、電話取材などを取り付けている。

松尾:なるほど。ぼくは“現場に居合わせる”ということにも事実と同様か、それ以上の意味を見出しているんですね。「ロスト・イン・言語化」と自分では呼んでいるんですが、どんな人でも情報を整理して言葉にするときに、何かが失われるとまでは言わないですが、それに近いことがあると思っています。

 たとえば、ホイットニー・ヒューストンとボビー・ブラウンは離婚訴訟を起こすようなことになりましたが、仲睦まじいときもあったわけです。ぼくはそういう時期に直接彼らに会ってそのさまを見ています。でも、ホイットニーが不慮の死を遂げた後に日本語で書かれた文章を読むと、不仲のイメージに合うようなものがすごく多かった。ぼくには、不仲になってからだけでなく、仲の良かったときのことも両方表現して公平性を保ちたいという気持ちがありました。それで、ホイットニーがまるでスタッフかと見紛う気取りのなさで、ボビーの仕事をサポートしながら愛娘の面倒を見ていた情景を書いたんです。

 だから、エビデンス的な動かぬ証拠だけでなく、偶然見つけたその人の真実も尊重したい、大袈裟に言うと、一瞬のなかに一生があるという人間賛歌の気持ちも強いんです。そういう考え方はちょっとロマンチックすぎるかなと逡巡する気持ちもあったんですが、1冊目の『メロウな日々』の評判が割と良かったので、2冊目の『メロウな季節』ではそういう部分をもっと出して……

――さらにメロウにしたわけですね。

松尾:よりメロウにしたんですよ(笑)。 

――そのあたり割と、松尾さんと菊地さんには似ているところがあるかなと思いました。決め所の決め方と言いますか、衒いを怖れない見栄の切り方と言いますか……。

松尾:彼もぼくも、どうしてもペダンチックになるきらいはあると思います。

――世代的なこともあるかもですね。

松尾:古典的な教養主義の最後の世代くらいじゃないですか。

――ある世代以下の人は、こういうメロウな文章はあまり書かない、というか書けないですね。

松尾:インターネットではもはやオジサンのブログだけですね。音楽を語っているブログではこういうメルヘン・タッチなものを見つけるのは難しいかも(笑)。

――過剰にデータ主義的か、でなければ感情過多か、極端に振れがちなのかな。松尾さんも『スペインの宇宙食』で菊地成孔という人に興味を持ったとおっしゃっていましたが(菊地成孔&大谷能生『アフロ・ディズニー2』)、あのエッセイ集が出たあとのいち時期、菊地エピゴーネンがわっと現れましたよね。あれは、ああいうペダンチックな文章が当時は珍しくなっていたがゆえの現象だったと思うんですよね。我々の世代にはどこか懐かしいテイストに感じられたけど、若い人たちには新鮮に映ったんだろうなと。

松尾:菊地さんもそうですが、ぼくが読み手として惹かれてきたのは、主観を過剰に出すわけじゃないんだけど、出すことを厭わないタイプの書き手ですね。たとえばぼくが2000年に出した『東京ロンリーウォーカー』は、開高健の『ずばり東京』(1964年)がインスピレーションです。

 自分の書いた本について「小説っぽい」とか「音楽にかぎった本ではない」という感想をよくもらうんです。そういう人に「ではどういう本を連想されますか」と質問したことがあるんですが、吉田修一の小説を髣髴させるという答えが複数ありました。具体的にはおそらく、『横道世之介』のような彼自身の体験を反映した青春小説のことだと思うんですが。

――ああ、なるほど。

松尾:吉田さんとは面識がありますが特に意識したことはないですし、彼の作品よりは常盤新平さんの『遠いアメリカ』などの、好きな文化に食らい付きながら自己を実現していく小説のほうが似ていると思うんですけどね。

 司馬遼太郎の『街道をゆく』という紀行集の中に、歴史的な場所を訪ね歩いているときに若い頃の意識が突然蘇るという場面があります。そういう描写というか手法は嫌いではないですね。

 ぼく自身はまだ読んでないですが、ソマリランドについて書いていらっしゃる早稲田大学探検部出身のノンフィクション作家・高野秀行さんの本の読後感に似ているというのも何人かに言われたなあ。肌の色が違う人の住む場所に潜入して得た希少な体験を書いているという点で似ていると思われるようです。

――「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」が高野さんのモットーだそうです。松尾さんもある意味で冒険家ですものね。

松尾:おしゃれな言い方をすれば、ぼくの場合は「都会で冒険した」ということになりますか(笑)。アーバン・アドベンチャーです。

 ちなみに「アーバン」という言葉は、アメリカの音楽業界や放送業界では「都会的」という意味ではなくて、「アフリカンの」という意味合いで使うことがほとんどなんですね。たとえばレコード会社で「アーバン・セクション」と言った場合、R&Bやヒップホップの担当を指します。

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