LOUDNESS二井原・山下が語る、『THUNDER IN THE EAST』とメタルシーンの現在

LOUDNESS二井原・山下のメタル談義

30年ぶりに恐々と聴いたら、しっかり歌えていてビックリ

20151102-ln5.jpg

 

──『THUNDER IN THE EAST』に関しては最初から全部英語詞でいこうと決まってたんですか?

二井原:それはもうAtlanticのほうから当然英語でっていうのが最低条件としてあったから。

山下:デモテープでは日本語で歌ってるけどね。

──じゃあアメリカに行ってから英語に訳したと。

二井原:そうです。日本人がゼロから流暢な英語で歌詞を書くのは無理だから。こんなイメージでこんな言葉を使ってと、アメリカで作詞家と相談しながらね。でも、マックス・ノーマン(『THUNDER IN THE EAST』のプロデューサー)にしても英語が喋れないボーカリストと仕事したことがなかったんですよ。だからもう、お互いの手探り加減といったらすごかったですよ(笑)。

──マックスはとにかく厳しい人だったと聞きますが。

山下:厳しいというか、細かい人やったね。几帳面というか。

二井原:完璧主義者みたいなところがあるし。「えーっ、そんなとこ気にすんの?」みたいなところを細かく積み上げて、作品にする人ですね。

──日本で作ったデモの中にはかなり貴重なテイクも含まれてますよね。ファンの方もそうだと思うんですが、特に驚いたのは「FIRESTORM」が入っていたことで。

山下:ですよね(笑)。

──この曲が正式にリリースされたのはこの7年後の1992年、お2人が脱退した後に制作されたアルバム『LOUDNESS』でのことですし。

山下:当時METALLICAがインタビューでLOUDNESSが好きだと言ってくれてたし、「『Whiplash』みたいな速い曲、作ろうや!」ってMETALLICAに対抗してできたのがあれなんです。

二井原:言ってたね。で、ひぐっつあん(樋口宗孝。2008年11月に逝去)はワンバスドラマーなんで、ツーバスっぽく聞かせるために……。

山下:ワンバスで叩いてディレイかけてね。

──なるほど! あのバスドラを連打してる感じはディレイによるものだったんですね。

山下:本人はツーバス、絶対にイヤで。タッカンはわりと昔からツーバスの曲をやりたいというのがあったんで、「ひぐっつあん、ちょっとディレイかけさせてや!」と言ったら「好きにせえや!」ってね(笑)。

二井原:僕らもあのデモテープを久しぶりに聴いたんですよ。久しぶりっていうか、録ったとき以来だな。

山下:今のマネージャーに「(当時の貴重音源は)なんかないの?」と言われて「あったけど、どこにあるかわからんわ!」て答えてて。でも大掃除したら出てきたんですよ。カセットのラベルに何も書いてないから、全部聴くのに3日間ぐらいかかりましたけど。

二井原:彼の保存がよかったから、この企画も成立したというね。確かあれは2日ぐらいで録ったと思うんだけど、ほんとそれこそ徹夜で朝方眠いって中で録ったから、きっとあまり歌えてないやろうなと思って30年ぶりに恐々と聴いたら、しっかり歌えていてビックリしてね(笑)。

「CRAZY NIGHTS」は最初ボツ曲というかイロモノ系だった

──日本から持っていったデモをマックスや現地のスタッフに聴かせた結果、「NO WAY OUT」みたいにテンポが変わったりと、曲によってはだいぶ様変わりしましたよね。サウンド的に何か指示はあったんですか?

山下:難しいフィルとかフレーズは弾くなって、マックスから口を酸っぱくして言われました。「もうお前ら、『DISILLUSION』までで十分やっただろ。だからシンプルにやってくれ」と。だから「CRAZY NIGHTS」の頭の、ドラムが「ドドン、ドン、ドン」とかいうの、ひぐっつあんは「こんなの、俺のドラム生命に関わるわ!」って怒ってたな(笑)。僕なんかも「THE LINES ARE DOWN」でベースの4連、6連フレーズを入れたら「お前何してんの? もう終わったんだよ! そこは普通にしてろ!」って怒られたから。でもギターだけは、ソロはトリッキーでいいだろうって。とにかくアレンジはシンプルにせえ、ノリを損なうようなことはすんなって言われてました。

──それが当時の主流の音だったってことなんでしょうか?

山下:というよりも、とりあえずこいつらをいっぺんシンプルにしたらどうなるのか、やってみたかったんやないかな。だって次の『LIGHTNING STRIKES』(同じくマックス・ノーマンがプロデュースした、1986年発売の全米進出第2弾アルバム)ではコロッと変わって、テクニックを全面に押せって言われたから(笑)。マックスはとりあえず試さな気が済まへんのやろね。きっと彼の中では、アメリカではシンプルがものが絶対に売れるって思ってたのもあるやろうし。

──シンプルな演奏だとラジオで聴いたときにすごく入ってきやすいですしね。

山下:そこも考えてましたね、マックスは。

二井原:あと、みんなで一緒に合唱できるような、シャウトできるようなパートを必ず1ヶ所入れろとか。そういうのはあったかもね。

山下:実は僕らの中ではあのデモテープで一番気に入っていたのが、1曲目に入ってた「THE LINES ARE DOWN」なんです。マックスに聴かせる前は「今度のアルバム、1曲目はこれで決まったな!」ってみんなで言ってたのに、アメリカに行ったらボツになりそうになって(笑)。マックスは「この曲、大して良くないな」と思ってたんです。「FIRESTORM」も聴いた瞬間すぐに弾かれたから。それでも僕らは好きだったから、アメリカツアー序盤は必ず1曲目にやっとったのね。でも実際やってみると、これが盛り上がんのよ。ちょっと複雑なんやろうね、ノリが。10カ所ぐらいやってみてあまりにも盛り上がらないから、「CRAZY DOCTOR」に変えたらえらい盛り上がって(笑)。

二井原:あと「CRAZY NIGHTS」は最初バンドの中ではボツ曲というかちょっとイロモノ系やったけど、それがマックス的にはいいってことでメインの曲に急浮上して。最初はリズムももう少し複雑だったんだけど、どんどんシンプルになってたんです。タッカンは「こんなリフ、俺が弾けるか!」ってマックスに怒ってたけど。

山下:それこそひぐっつあんが何度も「俺のドラム生命がこれで終わったら誰が責任取んねん! 俺のファンはみんな、俺の難しいフレーズに期待しとるんや!」と言ってたけど、それもわかるんですよ。でも初めてのプロデューサーやし、ここはプロデューサーの言うことを聞いとこうかと。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる