「AKB48の仕事もソロ活動もオートクチュールの世界」井上ヨシマサが振り返る、30年間の作家人生

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「秋元さんとは楽曲の直しについてケンカもしました」

――当時のAKB48が持っていたDIYの感じに、ご自身のインディー活動を重ねたりしました?

井上:スタッフもまだ数人で、メンバーも30人ちょっとでしたからね。それに劇場公演を見ていて、この子たちは何かを叫べるような気がしていて。これまでのメジャーなアイドルにはない、等身大の若者たちだからこそできる何かがあったし、秋元さんが書く詞もセンセーショナルなものが多かったから。その頃の僕らにとっては、劇場に来る250人が全てだった。勿論メジャーを意識できるクオリティを目指して作ってはいましたが、その250人が全員納得するまで、次のステップは無い!と秋元さんは考えていたと思います。なので、そこまでが本当に長かった。CDが売れなくなり出した時代だから、業界の人は「何万枚売れるんですか?」というところに躍起になっていたとき、AKB48は「250人のうち何人が本気になって頂けるか?」というのが最大の課題でした。それが達成できてから、200万枚までは時間がかからなかった印象。もちろん、売れ始めてから1位になるまでの苦労も相当でしたが、離陸する際のエネルギーは半端じゃない。僕は過去のインディーズの活動を通じて、1人のアーティストが世に出るのが容易でないことを充分実感出来るようになっていたので、不思議と苦ではなかったし。売れなくても諦めずに続けることの大切さを学びました。僕の曲を信じてくれたスタッフサイドの方々や運営の方々には本当に感謝してます。もう長い付き合いなので、友達のようになってる人も多いです。だからこそメジャーになった時の喜びもみんなで分かち合う事が出来ました。

――音楽の制作についても、これまでより寛容になったのでしょうか。

井上:仕事で請け負ったら、スタジオを何回使うからウン百万となるわけですが、インディーズで自宅作業なわけだから、金額は据え置きで何度でもアレンジをやり直す事に(涙)。寛容になったとはいっても、秋元さんとは楽曲の直しについてケンカもしましたよ。みんなが初めて経験する事だらけだったので、誤解も生まれました。 はじめに「公演曲でやる」と言われた曲が、いざ始まるとセットリストに入っていなくて、「ひどいじゃないですか! 僕はギリギリの状態で準備していたのに。このやり方では今後やっていく自信がありません。候補になっていた曲も返して下さい」というようなメールをしました。そうしたら、秋元さんが「残念です。仲間だと思っていたのに」ってメールをくれて。そこで このグループ自体が、今までの仕事とは全く違い、強力なファミリー意識と仲間意識に支えられていることに気付かされたのです。揉め事になりそうな出来事は、僕と秋元さんとの距離を縮める結果となりました。「仲間だと思ってくれているなら…」と戻りました。しかも前より強い何かを感じながら。この逆の事件もあって。「Everyday、カチューシャ」が出来たとき、僕が歌詞について指摘をしたら、秋元さんに「なんでヨシマサがそこまで言うんだ」とキレて電話を切られたんです。一晩、僕は「何故、僕は立場を超えて秋元さんに意見してしまうのだろう? 何故、仕事の枠を超えて熱くなってしまうのだろう?」と考え、そして翌朝、その答えを秋元さんに「以前秋元さんは僕に言ってくれましたよね…仲間だと思っているから…って!」と電話で伝えました。秋元さんは、電話の向こうでニヤリとしていたことでしょう。その言葉を仕返しと受け取る人もいるかと思いますが、運命共同体の私達にはパワーゲームをやっている余裕などありません。本気で良い物を作るために、仲間だと思ってくれている秋元さんに嫌われるのを覚悟で、意見を伝えている事を分かってもらいたかったのです。

――仲間意識があったからこそ、立ち上げからここまで一緒に関わってこれたのですね。

井上:僕の個人活動って、一流のミュージシャンを呼んでライブして、50人くらいしか集まらなくて…という、良く言えばオートクチュールの世界なんですけど(笑)、AKB48にも同じことがいえると思うんです。どこまで規模が大きくなっても、秋元康さん一人の世界のままだから、僕も彼の趣向を理解しつつ作っている。そういう意味では、自分のプロジェクトとAKB48への楽曲提供は、チャンネルが同じで、マスの目を意識せず、まずは自分が良いと思える曲、だれか一人が良いと感じる曲を作ろうというだけなんです。

――AKB48のブレイク後、歌手としての活動時間はさらに確保できなくなったのでは?

井上:でも、AKB48での仕事があったからこそ『Google+』での発信もスタートしたし、僕のファンになってくれるひとも増えましたよ。ライブにも5.60人くらいのお客さんが来るようになったし、作る曲も「あ、これ自分で歌った方が良いかも」と感じるものも出来てきた。切り分けないようにアウトプットをしていたら、いつの間にか両方を同時にこなせるようになってたんですよね。

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――ヨシマサさんは、ブレイクした現在も結成当時のままAKB48に接している数少ない人物かもしれませんね。

井上:だって、面白いじゃないですか。ごく普通の、電車へすっぴんにジャージで往復しちゃうような女の子が、次の日大スターになってたような感覚なんだから(笑)。AKB48の活躍を見ていると、色々な情報がカオスな時代に、長く活躍する事の大変さを改めて感じます。情報が多い分、楽曲の持つクオリティの差が分かり辛くなっている気もします。それは音響機器のデジタル化に伴う音楽制作の簡略化によるものが大きいかと思います。何しろ昨日今日作曲を初めた人も、ベテランと言われる人も、同軸に並ぶ事が可能になっているから。そこに音響的な差はどんどん無くなってきているのも事実です。そんな中、僕にとって大事なのは、正直にやっているか、やっていないかという基準だけ。秋元さんも、「俺は嫌いだけど、これ売れそうだから出しておけ」なんて絶対言わなくて、自分が納得していないものは絶対に出さない。

――ご自身の曲にするかどうかを判断する基準はどこにあるのでしょう。

井上:「ライブで僕が歌ったら面白い?」かなあ…。説得力も含めて。歌の上手さや聞き易さはこの際度外視ね(笑)。大体自分向けに書く曲って、ライブに向けたものが多いんです。「宴」や「前ノリ」など、今回アルバムに収録されている曲の大半はそう。とくに作品のリリースなどは考えていなくて、『Google+』でも「才能の無駄遣い」なんて色々と言われたのですが、自分でやる曲にはスピード感を大事にしてます。「今思った事を直ぐ曲に!」をモットーとしているから故。でも結果こうしてアルバムをリリースできるようになったのはありがたいですよね。

――アルバムには、新曲「SAFETY RIDE」も入っています。この曲は49歳の決意をそのまま綴ったような歌詞が印象的でした。

井上:49歳にもなると、腰が重くなってくるんですよ。ライブ前も「なんでこんなの企画したんだろう」と思ったり。でも、やっていかないといけないし、何より自分がやることを望んでいるのもわかっていて。時代が進んで、テープやレコード、CDと媒体が変化しても、「音楽」を聴いてもらいたいから、活動を続けていることに気付いた、例え肉体という車体は古くなっても、何歳になっても、走り続けようぜ!という内容の曲です。

――「『音楽』を聴いてもらう」というのは、提供している楽曲でも同じ思いですか。

井上:もちろん。だからこそ曲を作る側が聴いてほしい媒体を決めてちゃいけないと思うし、表と裏なんて作っちゃいけないと考えていて。AKB48の新曲「ハロウィン・ナイト」に関しても、「指原センター」というキーワードのみで作られるのです。超個人的な世界で曲作りは始まります。もちろん、蓋を開けてみればハロウィンナイトというマスな世界まで拡がりを見せましたが、そこはマイノリティと大メジャーの両方を知っている秋元流のなせる技。結果マスの部分だけだが目立っていますが、制作時に一番大事なのは、グループ当初からずっと続いている楽屋オチにも近い、完全なる内輪ネタから始まっていることなんです。僕やスタッフが常々共感しているのも実はそこですから。

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