幸福な解散はある──SAKEROCKのラスト・ライブを観て

 それでもSAKEROCKを存続させるべきだった、3人の個々の仕事をやめて、あるいは減らしてSAKEROCKに集中すべきだった、と思うファンはいるだろうか。僕は思わない。まず、それぞれの活動がすばらしいから。そして、そういうふうに「外の人がほっといてくれない」才能の集合体だからこそすばらしかったのがSAKEROCKだ、と思うからだ。

 先にやめていった野村卓史と田中馨も含めて、SAKEROCKには、SAKEROCKがなくなると困るメンバーがいなかった、という言い方もできる。そんな優れたメンバーが揃うなんてこと、普通、ありえない。同じ高校で、大学のサークルで、スタジオの貼り紙で、ライブハウスで、あるいはメン募サイトで、そんな3人なり4人なり5人なりが集まるなんてこと、確率としてゼロに近いだろう。

 東京事変のように、その段階で既に日本のトップクラスだった椎名林檎と亀田誠治というミュージシャン&プロデューサーが作ったバンドでもない限り、そんなことは不可能だ。その東京事変ですら「よくあんな人たち発掘して集めたよなあ」と思うし、解散後に個々が活躍しまくっている今になってみると。

 つまり、そのゼロに近い確率のことが奇跡的に起きたのが、自由の森学園の先輩後輩同士が卒業後に結成したSAKEROCKだった、と思うのだ。

 組んだ当初から、各メンバー、それぞれいいプレイヤーではあっただろうが、今ほどではなかったと思う。で、当人たちも、まさか自分たちがそんな奇跡的なバンドだとは認識していなかっただろうと思う。

 たとえば当時の伊藤大地に「きみ、将来、細野晴臣のレコーディングで叩いたり、奥田民生と岸田繁と3人でバンド組んだりするようになるよ」と言っても信じないだろうし、ハマケンに……いや、ハマケンに「きみJBみたいなファンク・バンドのボーカルになるよ」って言ったら「なるでしょうね」とか言いそうだな。でも「きみ俳優になるよ」「映画とかドラマとかCMとか出まくることになるよ」と言ったら、驚くのではないか。

 そうやってそれぞれが、きっと自分でも予想しなかった範囲まで成長していった。いや、最初に脱退した野村卓史に関しては、ある時期から予想していたのかもしれない。だから先にやめたのかもしれない。

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