LUNA SEAが演出する「V系シーンの総決算」 市川哲史が『LUNATIC FEST.』の意義を説く

 だからこそ2000年12月27日の<終幕>という名の自爆劇は彼らに相応しく、また邦ロック史上に残る見事な散り際だった。

 それゆえに13年5ヶ月間もの恩讐(失笑)をなんとか解消してまで完成させた新作が、「普通」なわけないだろう? ましてやこの終幕期間中に世界の音楽シーンは当然、よくも悪くも変貌を遂げている。ただでさえ音楽的野心満々の奴らが、看過するはずないではないか。

 ……しかしその『A WILL』からは、「新しい音楽を創造するぜ!」的な力みも「LUNA SEA様の再降臨だぁ!」的な高揚も伝わってこなかった。前述したように、要は<LUNA SEA・40代ヴァージョン>だったのである。

 別の言い方をすれば、「俺たち5人が揃うとやっぱLUNA SEAにしかならないのね」「自分はLUNA SEAの一部である、といまなら言えるかも」という、能動的達観もしくはポジティヴな諦観が、彼らに不思議な現役感を持たらしたようだ。

 その新作『A WILL』を私はいいアルバムだと思ったし、LUNA SEAが結成以来24年目にして作った<最もバンドらしい一枚>と積極的に評価もする。ただし本作があろうとなかろうと、やはり私はLUNA SEAの音楽的キャリアに影響はないと思うのだ。

 ではなぜ彼らは、<かつてのスレイヴたちにはさほど必要ない新作>をわざわざ作らねばならなかったのか。「再始動してある程度活動する以上は、ちゃんと新作をリリースしなければ世間に対して失礼だろう」と本気で考えていたからに違いない。

 2007年12月の一夜限り再結成@東京ドームや翌08年5月のhide追悼サミット参加@味の素スタジアムに、道義を問うような無粋な奴などいない。2010年晩秋からの東京ドーム2公演を含むワールドツアーも、実はクールジャパンの一翼を担ってた<visualkei>ブームへの貢献を考えれば、いいじゃないか。続く2011年10月のさいたまスーパーアリーナは東日本大震災チャリティーだもの、立派な大義がある。

 それでも2012年以降、5会場13公演の全国Zeppツアーに武道館6公演を含む再度のワールドツアー、そして昨年から今年にかけての19会場35公演にも及ぶ全国ツアーへと拡大していくにつれ、<現役>バンドとして最新作を欲してしまったのかもしれない。

 もはや活動のための大義名分ではない。表現者としての業だ。何もそこまで思い詰めんでも、である。

 こと表現することに関して、LUNA SEAほど一切の妥協と打算を挟まず没頭する、愚直なまでに真摯なバンドはそうそういない。だから私はずっと彼らを信用してきた。

 私の再結成観自体は今後も変わらないけれども、LUNA SEAの度を超えた律儀さはある意味「ロック」っぽい。少なくとも行き当たりばったりでだらだら活動してるだけの再結成に較べれば、はるかに潔いのだ。

 そして2015年6月27・28日の両日、LUNA SEA自身によるロックフェス《LUNATIC FEST.》@幕張メッセが開催される。

 これがまたなんとも、「そんなLUNA SEAらしい」としか言いようのないフェスだったのだ。

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