『ホットロード』主題歌の尾崎豊はアリかナシか? 不良文化と音楽の関わりを再考

中矢「『ホットロード』エンディングの後、不幸な運命の連鎖を想像した」

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『ホットロード』公式サイトより

磯部:『TOKYO TRIBE』も『ホットロード』も興業成績は順調みたいだけど、自分が観に行った回にしてもどちらも若い観客が多くて、上映後、話に花が咲いている感じが良かった。『TOKYO TRIBE』は男の子が女の子を連れて来てる感じで、「シンヂュクHANDSのボスをやってた漢はほんとに新宿で活動してるラッパーでさぁ……」とかウンチクを語ってたり。一方、『ホットロード』は女の子が男の子を連れて来てる感じで、女の子はボロ泣きしてるのに、男の子はわざと退屈そうに「しょんべんしてくるわ」とか言って何度も席を立ったり(笑)。

中矢:女子高生コンクリート詰め殺人事件(88~89年)で知られる足立区綾瀬に在住している私は、最寄りの亀有にあるシネコンで真っ昼間に『ホットロード』を観たんですけど、まだ授業中のはずの女子高生のグループが観ながら泣いていたりしましたね。あるいは、その女子高生たちの親の世代に当たり、原作である紡木たくの同名マンガ(86~87年)にかつてハマったと思われる40代くらいの女性が一人で観ていたり……。そういった、いわゆるマイルドヤンキーな環境で観たこともあって、家庭環境が複雑とはいえ、木村佳乃みたいな母親とあんな小洒落たマンションで暮らす能年玲奈のような女の子が暴走族にコミットすることは現実的にあり得るのだろうか……とやや疑問に感じてしまって。

磯部:いや、金持ちの子がグレるのは基本でしょう。初期のチーム文化にしても、比較的裕福で最新の情報にアクセス出来る子たちが中心だったわけで。ただ、映画版『ホットロード』の和希の母親はヒステリックだけど、原作はもうちょっと不思議ちゃんな感じで、和希に対する態度も言ってみれば放任主義なんだよね。親子がまるで友達みたいな関係である一方で、娘は母親が構ってくれないことに不満もあって、当て付けのように夜遊びをするという。そして、その関係が映画ではネグレクトに置き換えられている。それはそれで現代的だと思ったけどね。

 まぁ、僕は『ホットロード』に関しては『TOKYO TRIBE』と違って原作の大ファンなんで、映画化にあたっての違和感は幾らでも挙げられるんだけど……まず、良かった点を言っておくと、実写を観て、紡木たく作品に漂う清潔感というか、その雰囲気を醸し出している彼女の絵のホワイトアウト感は、なるほど、湘南地区特有の、太陽と、それが反射する海面という、上下2方向から来る光を表現したものだったのかというのは、改めて気付いたことだったね。

中矢:確かに、空と海を映したシーンは象徴的に使われていましたね。

磯部:そして、早々と良くなかった点を言うと(笑)、映画では和希は暴走族の世界に、まるで、春山に強引に引っぱり込まれていくかのように描かれているんだけど、僕が原作でいちばん好きな台詞が、和希が集会に行き始めた頃の「耳を つんざくよーな この音が好き」っていうモノローグなんだよね。要するに、和希は暴走族にフェティッシュな魅力を感じて、自発的にその世界に入っていく。

 もちろん、彼女のバックグラウンドも影響はしていて、初対面の春山が和希に言う「おまえんち/家テー環境わりいだろ?」っていう台詞は原作でも映画でも重要だけど、その後、原作では和希がバイクに乗った少年たちを羨ましそうに眺めている姿が何度も登場するんだよね。彼女にとっては、バイクは家庭だったり学校だったり、窮屈な環境から脱出させてくれる装置に見えた。でも、14歳の女子中学生っていう身体的、あるいは、社会的な制約からそれに乗ることは出来ないっていう。そして、和希は春山に、自分の「自由になりたい」という想いを仮託していく。

 それが、映画では、和希は自分勝手な春山に引っ張り回されているかのように描かれているから、DV的な関係に巻き込まれる女の子の典型的なタイプに見えちゃうんだよね。エンディングのモノローグを聞きながら、「このカップル、絶対別れるだろ」と思っちゃうという……。

中矢:エンディングの後、和希は春山の子を早々に身ごもるものの、春山のDVに耐えきれずに別れ、生まれてきた子どもは和希と同じ運命をたどり……というのは勝手な想像ですが、春山が和希に冷たくしたりする一方で時折甘えた表情を見せたりするのは完全にDV男の行動パターンだと思ってしまいました。ただ、そういう男にばかり引っかかる女の子も一定数いるかと。

磯部:確かにそれもリアルなのかもしれないし、紡木たくは『ホットロード』の6年後の作品であり、休筆する前の最後の連載である『かなしみのまち』(93年~94年)で、まさにネグレクトをテーマにしている。その頃には和希も母親になっているかもしれないし、親子の問題は連鎖していくのかもしれない。思わず、そんなことを考えてしまうような重い作品だったんだけど、映画はともあれ、原作版『ホットロード』のエンディングの、障害を抱えた春山と、それを支える和希にかけられる、「がんばってね 和希/あたしたちの 道は/がんばってね/ずっと つづいてる」っていう、未来の和希からの、あるいは和希と似た境遇の女性たちからの応援の声は、2人の未来は決して安泰ではないことを示唆していたと思うな。要するに、「このカップル、絶対別れるだろ」みたいな斜に構えた視点は織り込み済みなんじゃないかと。

 そういえば、映画が終わって灯りが付いた瞬間、後ろの女子高生2人が「春山、超オラオラだったね……」って呟いてたのが印象に残った(笑)。映画版の『ホットロード』は時代考証も割とちゃんとやっていて、江ノ島の展望台も02年に立て替えられる前のものがCG合成されているんだけど、当時の暴走族を、現代の女子高生は“オラオラ”っていう今の言葉で普通に受け入れるんだなって。Twitterで“ホットロード”って検索すると、若い女の子たちが映画を観たあと写メとかプリクラとかを撮って「泣いた…」みたいな感想を書いてるツイートがいっぱい出てくるんだよね。当たり前だけど、ネタじゃなくて、普通に観られてる。ほら、ちょっと前まではヤンキーってパロディの対象だったじゃない。『ホットロード』を引用してる氣志團がまさにそうだけど、“あえてヤンキーをやりますよ”みたいな断りが必要だった。それが、今はまた完全に“アリ”になってるんだなと。そこには『TOKYO TRIBE』との共通点も感じたな。

 それと、連載の趣旨でもあるので『ホットロード』と音楽の関係についても触れておくと、原作では音楽にまつわるシーンはほとんど出て来ないよね? 映画では和希をナンパしたチャラい大学生たちの車の中でブラコンがかかってるシーンがあるけど。だから、さっき引用した「耳を つんざくよーな この音が好き」っていうモノローグの通り、『ホットロード』では、バイクの音がいちばん魅力的な“音楽”として描かれている。そして、それを「ポピュラー・ミュージックに置き換えると何になるか?」と映画化にあたって考えた時に、選曲されたのが尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」だったっていうのは、僕はなかなかいいチョイスだと思う。

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