タコツボ化時代に生まれた奇跡の生命体――くるり新作の音楽的背景を岡村詩野が分析

 しかしながら、これは決して完成品ではなく、くるりという海辺に打ち寄せてくる様々な国の音楽のカケラが、研磨されトリートされていった過程のような作品とも言えるだろう。未完成という意味ではなく、この過程は目下相当な推進力で進行している、ということ。なぜなら、音質はロウ・ファイである美徳を鼻で笑うかのように徹底的にクリーンでシャープ。おまけに、例えばフライング・ロータスあたりと並べてフロアで大音量でスピンさせても全く違和感のない音の厚みもある。単なるフォークロア探訪の旅ではなく、様々な国の音楽をミックスさせたのでもなく、目線の先にあるのはあくまでコンテンポラリーな大衆音楽の世界基準という視野の大きさ、気高さもある。なのに、やっぱりどうしようもなく日本の音楽でしかない、という我が儘な体もある……。これほど多面的で批評性を伴った現代音楽がそうそう簡単に完成されるわけがない。

 冒頭で名前を出したグリール・マーカスは、「ロックの中心がないということは目新しさをはぐくむ有益さがある」とも述べている。くるりはある時期からそこに気づいていたということなのかもしれない。岸田繁は、近年、ツイッターなどで意識的なのかどうかわはわからないが、アジアやアフリカの音楽、文化に傾倒していることを再三伝えてきた。それは、今はこれが旬、ということではなく、欧米のロックやダンス・ミュージックと、パキスタンの宗教歌謡であるカッワーリ、インドネシアのクロンチョン、ギリシャのレベーティカといった世界中の大衆音楽を自然に並べて聴いている、ということを意味していたのだと思う。だが、そこに極端な大義名分はきっと岸田繁にはないだろう。自分と同じようなそういう聴き方ができる人が一人、また一人と増えていくと、荒んでいるこの世界はもっともっと美しいものへとなっていく。本作のジャケットの水平線の先にある最終的な桃源郷は、岸田が邪気なく望むそういう他愛のないラブ&ピースなのではないかと思うのだ。

■岡村詩野
音楽評論家。『ミュージック・マガジン』『朝日新聞』『VOGUE NIPPON』などで執筆中。東京と京都で『音楽ライター講座』の講師を担当している(東京は『オトトイの学校』にて。京都は手弁当で開催中)ほか、京都精華大学にて非常勤講師もつとめている。

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