BiS解散ライヴを徹底レポート あえて「立つ鳥跡を濁す」結末に

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「パプリカ」で“騎乗位パフォーマンス”を披露するプー・ルイ(下)とコショージメグミ(上)。

 そして、2011年のファースト・アルバム「Brand-new idol Society」の楽曲群へ。ここで終わりだ。「パプリカ」ではプー・ルイとコショージメグミが騎乗位を交互にしてみせる。何をしているのだろうか……。一方、「太陽のじゅもん」を聴きながら、松隈ケンタ率いるSCRAMBLESが作り上げたファースト・アルバムが名盤だったからこそ、その後もBiSは高い音楽性を評価され、イロモノに終わらずに済んだことを再確認させられた。スキャンダラスなプロモーションなど、BiSにとっては実は枝葉に過ぎないのだ。

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研究員によって大量に投げ込まれたバルーン。

 そして終盤を迎えると、「レリビ」で客電がつき、メンバーが客席の通路を歌いながら歩いていく。セキュリティに阻まれていた研究員も遂に彼らを突破し、BiSを追いかけはじめる。さらに会場には巨大なバルーンが大量に投げ込まれた。これは研究員が用意し、必死に膨らませて、チケットを大量に買って確保したスペースに置いてあったものだ。最後に再び歌われた「nerve」でも横浜アリーナの空間をバルーンが飛び交った。

 そしてエンディング映像が終わると渡辺淳之介が現れ、メンバーの今後を発表。プー・ルイはすでに始動しているバンド「LUI◇FRONTiC◆松隈JAPAN」で活動。しかし予想外だったのがここからだ。ヒラノノゾミとファーストサマーウイカは、NIGOと渡辺淳之介のプロデュースでユニット「ビリーアイドル」をスタート。カミヤサキは、現在いずこねこの茉里とのユニット「プラニメ」を結成し、タワーレコード傘下のT-Palette Recordsからデビュー。テンテンコはフリーで活動し、フェス「夏の魔物」にDJで出演することが決定。コショージメグミは、サクライケンタのプロデュースによる「book house girl(仮)」に参加するという。

 そして呆気に取られたのは、「明日『元BiS』がワンマンライヴをする」というアナウンスだった。しかも価格は3万円。BiSは解散したというのに、翌日に「元BiS」としてライヴをするというのだ。客席からは、理解しかねるようなざわめきが起きた。「騙された気分はどうだい?」。公演のサブタイトルが脳裏に浮かんだ。やりやがった、と。献花台まで出して研究員がBiSを葬ろうとしたら、BiSはゾンビのように死ななかった、というオチがついた。

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開催前は大量の空席が危惧されていたが、当日はほぼ席が埋まった。

 「世界を変えようとしたけど変えられなかった」とメンバーは解散ライヴ前に語っていた。しかし、ラストツアー「THE BiS WHO SOLD THE WORLD TOUR」では熱狂を増し、6月25日の「異端児Festival」では、研究員の狂気に近い熱狂に恐怖すら感じたものだ。こいつらを救うには解散ライヴで爆発でも起こらないと無理だ、と考えたほどに。

 ところがBiSは解散ライヴでMCもせず、ひたすらにパフォーマンスを続け、今後の活動と翌日のライヴのみを発表して、我々の前から去っていった。あまりにもあっけない。しかし、この底意地の悪さ、悪態のつき方こそ初期のBiSにあったものだ。

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左からカミヤサキ、コショージメグミ、ヒラノノゾミ、プー・ルイ、テンテンコ、ファーストサマーウイカ。

 BiSは、まさにBiSらしく終わった。「伝説」なんて、これまでの現場にいなかった連中の妄言に過ぎない。この後味の悪い、曖昧模糊とした感覚こそがBiSなのだ。約3年半の活動を経て、まだ概念としての「BiS」は完結していない。世界を変えられなかった女の子たちの物語こそがこれからの「BiS」なのだ、と解散ライヴで明かされてしまったのだから。あえて「立つ鳥跡を濁す」のがBiS。もう力なく笑うしかないのだ。

■宗像明将
1972年生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。近年は時流に押され、趣味の範囲にしておきたかったアイドルに関しての原稿執筆も多い。Twitter

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