メタルギア畑でつかまえてーーファントムを描く短編小説「『Metal Gear Solid V: The Phantom Pain』をプレイして」

メタルギア畑でつかまえて

 『ニューヨーカー』誌の2020年1月6日号に、短編小説「『Metal Gear Solid V: The Phantom Pain』をプレイして(“Playing Metal Gear Solid V: The Phantom Pain”)」が掲載された(オンライン版は2020年9月現在でも閲覧可能)。同作は小島秀夫監督によるメタルギア・シリーズ第8作となるビデオゲーム『Metal Gear Solid V: The Phantom Pain』(以下、『MGSV:TPP』と表記)が発売された2015年から5年後、アフガニスタン系アメリカ人のジャミル・ジャン・コチャイ(Jamil Jan Kochai) が上梓したものだ。以下にそのあらすじをまとめよう。

 コチャイの短編小説は、米国西海岸に住むアフガニスタン系移民の少年である「あなた (you)」がファストフード店のアルバイトで貯めたお金を手に、待ちに待った小島監督の最新作『MGSV:TPP』の発売日に自転車をこいで買いに行くところから始まる。「あなた」の父は無職で、アルバイト代は家計に回すべきだと「あなた」はわかっている。また、「あなた」のルーツであるアフガニスタンでは、いまごろ子どもたちが白人や軍人のため、身を粉にして建設業に従事しているのだろうとも感じる。なけなしのお金をゲームに使って良いものかと思いつつ、それでも「あなた」は買わずにはいられない。その際の心の叫びは実にユーモラスで力強い。「でも、チクショウ、だってコジマだぜ、メタルギアなんだぜ(“but, shit, it’s Kojima, it’s Metal Gear”)」。そのように自らに言い聞かせ、ゲームを購入した「あなた」は急いで家に帰り、自室に閉じこもって父親や兄妹とのコミュニケーションを拒み、早速ゲームを始める。ゲームの舞台となる1984年のアフガニスタンの映像を見ていると、「あなた」の脳裏には、幼少期に暮らしたアフガニスタンの記憶が蘇ってくる。

 しかし、ここから小説は急転してリアリズムを逸脱していく。『MGSV:TPP』のプレイを通して現実と虚構が揺らぎ始め、「あなた」は『MGSV:TPP』の世界に入り込み、ゲームの主人公ヴェノム・スネークと一体化していく。ゲーム中のミッションを放り出し、カズヒラ・ミラーという捕虜の救出を後回しにすることにした「あなた」は、ゲーム内で用意されたマップを飛び出し、両親の故郷の村へ向かう。そこへ向かう「あなた」の目的は、アフガニスタン紛争でロシア軍に拷問される前の父と、ロシア軍に殺害される前の叔父を見つけ出し、麻酔銃で眠らせて救出することである。現実の世界ではロシア軍に酷い目に合わされた父や叔父の体験に近づくことはできない「あなた」は、ビデオゲームを通して彼らとその歴史に近づこうとする。「あなた」は、ティーン・エイジャーだった頃の若き父と叔父を発見するが、彼らを救出する試みにはいくつかの邪魔が入る。まず、父と叔父自身が「あなた」の存在に気づいて銃で応戦する。次に、村の住民たちも加勢して「あなた」に攻撃し、祖母が振りかざしたマチェットの一撃が「あなた」に深手を負わせる。さらに、現実世界の「あなた」の部屋のドアを兄妹と父がノックし、ゲームをやめて部屋の外に出るように繰り返し声をかけてくる。このような障害を何とかはねのけた「あなた」は、銃撃戦の末に父と叔父を麻酔銃で眠らせることに成功する。「あなた」は父と叔父を両肩に担いで追っ手から逃れ、二人を愛馬の背に乗せる。その後、支援ヘリを呼んでアフガニスタンの紛争地帯の脱出を試みるが、ヘリは撃墜され、愛馬も射殺されてしまい、脱出はかなわない。再び父と叔父を両肩に担いだ「あなた」が暗い洞窟の中へと逃げ込んでいくところで短編は終わる。

 短編の作者であるコチャイは、実際に彼の叔父がソ連軍のアフガニスタン侵攻で殺害されており、死んだ叔父の物語が彼の家族にとりついているとインタビューで発言していることから(Treisman, 6段落)、この短編にはある程度、作者自身の経歴が反映されていると言える。コチャイの短編は、ただ10代の少年が大好きなビデオゲームをプレイするというありふれた光景を描くのではなく、アフガニスタン系アメリカ人がアフガニスタンを舞台とするビデオゲームをプレイするときの複雑な心境を見事に表現している点において、注目に値する。アフガニスタンを舞台とするビデオゲームをアフガニスタンにルーツを持つプレイヤーがプレイするときに発生する混乱を、コチャイの短編は「二人称の採用」と「兵器的優位性の欠如」という二つの方法で巧みに表現している。二人称の採用による効果について、まずは作者のコチャイの出自を辿り、彼のインタビューでの発言を参照しながら確認する。

 その後、『MGSV:TPP』のプレイヤーが敵に対して持つ兵器的優位性を小説の主人公である「あなた」が駆使できていないことに着目し、コチャイの小説がアフガニスタンを舞台とするビデオゲームでは周縁化されがちな一般市民の個性や人間性をいかに描き出し、軍事大国アメリカが世界に及ぼす支配力に対して『MGSV:TPP』とは違った批判を加えているのかを明らかにしよう。それによって、ビデオゲームに欠けていたものを補う小説のあり方、あるいはビデオゲームのファントムとしての小説のあり方が明らかになるだろう。

二人称による攪乱効果と、ビデオゲームのファントムとしての短編小説

 ジャミル・ジャン・コチャイは、1992年にパキスタン内のアフガニスタン難民キャンプで生まれ、アフガニスタンのローガル州で幼少時代を過ごし、渡米してアイオワ大学で高等教育を受け、現在はカリフォルニア州ウェストサクラメント在住の28歳の作家である (https://www.jamiljankochai.com/)。ビデオゲームが趣味のコチャイは、アフガニスタンを舞台としたFPS(First Person Shooterの略。一人称視点のシューティングゲームのこと)をプレイしているときに違和感を覚えるようになった。アフガニスタンがビデオゲームの舞台になることはそれほど多いとはいえないが、ゲーム内に登場するときには米軍のためのプロパガンダとして使われるのだとコチャイは言う(Treisman, 2段落)。アフガニスタンはアメリカのプロパガンダのために使用されているというコチャイの感覚は、ビデオゲームにおいてアラブ諸国やムスリムがどのように描かれているかを研究した2008年の卓抜な論文「デジタル・アラブ──ビデオゲームにおける表象(“Digital Arabs: Representation in Video Games”)」が論じた内容と重なる。同論文においてヴィット・シスラー(Vít Šisler)は、9.11以降のコンバットゲームがアメリカによる対テロ戦争の文脈を大いに反映しており、イラク・イラン・アフガニスタンなどのテロリストグループが殺されて当然の敵キャラクターとして登場することを、豊富な実例と先行研究をもとに明らかにしている(Šisler, 208-209)。

 そのようなプロパガンダ的ビデオゲームの中でも、白人兵士を操作してアフガニスタン人を撃ち殺すゲームをプレイするとき、コチャイは奇妙な感覚に襲われる。例えば、FPSゲームの代表格である『Call Of Duty』において、白人兵士の視点から敵のアフガニスタン人を撃ち殺しているとき、今しがた撃ち殺したばかりの敵兵士の顔が自分の父親や自分にそっくりであることに彼がふと気づくと、味方と敵、あるいは、こちらとあちらという二分法が機能しなくなってしまう。そうなると、「私があなたを撃つ(“I shoot you”)」というFPSの前提は崩れ去り、「私が私を撃つ(“I shoot me”)」という奇妙なシューティングゲームをプレイすることになるのだと彼は言う。さらに、「私」と「あなた」が不分明になるこの奇妙な感覚を表現するため、コチャイは「あなた(“you”)」という二人称で短編を執筆した、とインタビューにて発言している(Treisman, 8段落)。

 多くの短編読者は米国西海岸在住のアフガニスタン系アメリカ人の少年ではなく、父がアフガニスタン紛争でロシア軍に拷問されて現在に至るまで、心身の不調に悩まされてはおらず、叔父がロシア軍に殺害されているわけでもないことは明らかだが、小説は「あなた」という二人称で書かれ、これは「あなた」の物語であると終始主張する。「これは自分の視点であることになっているが、自分の視点ではない」という、この短編が読者にもたらす違和感は、アフガニスタンをルーツに持つコチャイが白人兵士としてアフガニスタン人を撃ち殺すFPSゲームに覚えた違和感の再現なのだ。

 ただし、『MGSV:TPP』という“ヒデオゲーム”は、プレイヤーが白人兵士を操作して敵のアフガニスタン人を撃ち殺すビデオゲームではない。『MGSV:TPP』のアフガニスタンはソ連軍に占領されており、アフガン市民は退去していて登場しないからだ。コチャイの短編は『MGSV:TPP』を主たる題材に選んではいるが、二人称による違和感の演出は、短編内で具体的に言及される『Call of Duty』、『Battlefield』、『Splinter Cell』のような他のビデオゲーム・シリーズから着想を得たものであるように思われる。『MGSV:TPP』が抱えているステレオタイプ的要素は、殺されて当然の敵としてアフガニスタン人を描いているということではなく、前掲の論文「デジタル・アラブ」がまとめた類型を参照すれば、個性や人間性を備えたアフガニスタンの一般市民が登場しないことだと言える [Šisler 204] 。(注1)

 コチャイの短編が大きく依拠しているゲーム最序盤のミッション「幻肢」にて、オセロットというキャラクターはアフガニスタン市民の不在について「住民は戦火を逃れるために避難」したと語る。『MGSV:TPP』は、アフガニスタンを舞台にするが、そこにアフガン市民は存在しない、という宣言から始まるのだ。アフガニスタン市民とは、『Metal Gear Solid V: The Phantom Pain』というビデオゲームにとっての亡霊(ファントム)である。そうであれば、コチャイの短編の「あなた」がゲーム世界に入り込んだかと思えばゲーム中のマップを飛び出し、かつて両親が暮らした村へと向かうことは、アフガニスタン市民という『MGSV:TPP』の亡霊(ファントム)を、また、その亡霊が抱える痛み(ファントム・ペイン)を蘇らせる行為と言えるだろう。

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