三宅陽一郎×紀里谷和明対談:すでに世界はアルゴリズム化し、人はAI化しつつある

三宅陽一郎×紀里谷和明対談

感情が情報に置き換えられる社会で生き抜くために

紀里谷:アデロールという薬剤をご存知ですか? いわゆるADHDの治療に使う処方薬なんですが、飲むことで集中力が増すのでADHDではない人たちまでもが「頭が良くなる薬」として飲んでいる。今のアメリカは、そこまでして自分のパフォーマンスを上げていかない限り、ついて行けないような超競争社会になってしまっているわけです。そこまでして競争し続けて幸せなのかと言えば、どう見ても幸せそうじゃない。アメリカで暮らしていてすごく感じるのは、西洋的社会は、自分が今の立ち位置から下降したらどうしようというプレッシャーや恐怖感がすごいということです。何もかもが相対的で比較の対象になりますから、すべてを拡張してアップグレードし続けなければならないという考えがあります。その土台となっているのは競争社会です。そこで勝ち残らないと文字通り生存できない。

 僕はシステム主導の社会がどこかで駆逐されるべきだと思っているし、なおかつそれを人間が行うべきではないと考えているんです。だから人工知能にそういう統治プログラムができれば、そこに委ねてしまった方がよっぽど平等じゃないかと思います。しかしその平等という概念に関しても、ものすごい議論があるし、そもそも平等というものを本当は人間自体が求めていないわけです。

三宅:つまり、人間に任せておくと自家中毒的な競争社会がエスカレーションするのだけど、それは人間の性(さが)によって起こっているので、人工知能の導入によって加速した競争社会を抑えるということですね。

紀里谷:もしくは、人工的に人間の脳をエンジニアリングで変えていくかですよね。脳の仕組みとして、そういうプログラムになっているわけだから。そこの部分をいじるかどうかだと僕は思いますよ。

三宅:紀里谷さんはアメリカの競争社会を知りながら、あえてアメリカに今住んでおられるじゃないですか。そんななかで南米のジャングルに行って色んな体験をしてこられた時のエピソードを以前に伺った時にすごく感動したので、そのお話をしていただいてもいいですか?

紀里谷:僕はこの数年間、どこでもないどこかを見つけようとして必死になっていたんです。日本にいたくないし、アメリカにもいたくないし、どこにもいたくなかった。それで今年の初めにペルーのジャングルに行って2週間程滞在していたんです。僕はあの時に初めてジャングルに行って、初めてジャングルの音を聴きました。例えば夕方の6時きっかりに鳴く虫がいたりする。その虫が鳴くと、次はその虫の音に呼応して鳥が鳴きはじめて、サルが鳴きはじめて、風が吹いて……ということが連鎖的に起きる。まるで誰かによって正確に作られたプログラムの中にいるような感覚になるわけです。スピリチュアルな言い方になりますけれども、すべての存在が融合して絡み合っていて、一つひとつがつながっていることを本当に体感できた。その中に自分もいて、自分の心臓の音やビートがジャングルの音と呼応していく感覚です。

 これは非常に精密にデザインされて行われていることなんだと、ものすごく強く感じた。その瞬間に、一切の恐怖というものが僕の中からなくなったんです。この中にいれば安心だし、これでいいじゃんっていう感覚が訪れました。同時に、自分がこのまま死ぬんじゃないかという感覚も訪れたんですが、そう思った時に、「死にたくない」という抵抗が現れました。その抵抗が何によって生じるのかを自問自答した時に、それがいわゆるエゴだと分かったんです。自分のエゴが森羅万象というスープに飲み込まれて消えてしまうことに対して抵抗している。ですが、あれを体感して以来、恐怖感というものが確実になくなりました。それを信仰と呼ぶのかわかりませんが、何もコントロールする必要なんかなくて、手放しで良い。オッケーだから、悪いようにならないからって感じなんですね。

三宅:そういった体験が、進化や成長、発展という名のもとに競争社会を加速させた人類が、今後の未来を考えていく際のヒントのひとつという気がするんですね。今のアメリカの競争社会は、自分のことを全部自分でコントロールしようという西洋社会の最たるものだと思いますから。

紀里谷:今のあなたそのものでは許されないっていう社会が構築されているわけです。それが資本主義社会で、いわゆるマーケティングが、それをまた煽るように追いかけている。「これ買わないとモテませんよ」「これ買わないとダメですよ」という具合に。それがどんどん加速することで、人々は不安で仕方がなくなるわけですよね。かといってアップグレードしたところで、その不安が解消されるかというと、解消されない。

三宅: ITによってアルゴリズム化していて、どんどん加速しているわけですよね。そこから逃れる術のひとつは人工知能社会に移行することでしょうか。

紀里谷:それでは、これまでと同じことの繰り返しが起きかねないと思います。覚えています? インターネットの出だしの頃の触れ込みは、「皆が自由になれる」でした。それが今はアマゾン、アップル、グーグル、Facebookの4社が牛耳ってしまっていて、その管理下に置かれている。今は人工知能がもたらす色んな可能性が言われているけれど、今までの人間の営みを振り返っていくと、今後インターネットと同じことが起こるでしょうね。

三宅:人工知能の性能ってある程度計算パワーに依存するところもあるので、ものすごいサーバーを持っているところが勝ったりするわけですよね。それが大手の企業だったりするので、個人がたくさんコンピューターを持っていたとしても、力関係としては巨人対小人みたいな感じになってしまう。でもそういう中で、紀里谷さんがジャングルに行かれて体験したことは、そこに対するソリューションであり人間の可能性のひとつじゃないかなと思います。

 1960年代以降にヒッピーカルチャーが流行った頃も、現代社会に疑問を持った人たちがチベットに行って持ち帰った東洋哲学が、カウンターカルチャーとして禅とともにアメリカで流行る時代がありました。それが今の情報化社会によって見直されています。文明の発達と人間のあり方というテーマで見ると、今はすごくクリティカルな時代に来ているんじゃないかと思うんです。

紀里谷:僕からすると末期的というか非常に危険な時代に差し掛かっているように見えますね。芸術をやっている僕たちって、人々に感情を伝えようとしているわけです。本来ならそれを受け取った人の中で感情が想起されない限り成り立たないものだったのだけど、今やそれすらも「これは誰々さんが作った映画だから」「これはヤフーレビューで5点取っているから」と、情報としてジャッジされ始めている。

 コミュニケーションもそうです。コンビニで「いらっしゃいませ、どこどこへようこそ」という定型化した何の感情もこもっていないトーンを、僕は至るところに感じる。人と話していても定型文のやりとりが多いですね。「おもしろーい」「かわいいー」とか言うけど、それ本当に心から面白いと感じたり、かわいいと思っているんですか? 口をついて出て来るプログラムであって、siriと話しているのと変わんないんじゃないの?って思うんです。

三宅:生まれた時からそういう社会に生きた人にとっては、自分をある程度定型化した方が孤独を埋められる思春期を過ごしちゃうと、分かりやすいリアクションや、分かりやすい作法によってつながった方が、周りに自分を分かってもらいやすいんでしょうね。むしろ今何かオリジナルの考えを持ったり、エキセントリックだったりすると、そこから逸脱してしまうという恐怖みたいなものが背景にあるのだと思います。

紀里谷:だから、人工知能にとって替わられるんですよ。

(取材・文=高橋ミレイ)

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