さやわかのゲーム放談 第2回:『ファークライ5』が描く、現実に重なる狂気と悪夢

善悪を越えて、ただ自己目的化した暴力

 「実は主人公こそが悪なのではないか?」という逆転を描くゲームって、わりとあるんですよ。スーパーファミコンの『真・女神転生』に出てくる敵は「自分たちを殺して平気なのか?」と問いかけてきたし、プレイステーションの『moon.』をはじめ、RPGの勇者がどれだけ野蛮で残虐な奴かを描いたゲームも多い。そういや同じくプレステの『高機動幻想ガンパレード・マーチ』だと、敵を倒しすぎると主人公が味方から気味悪がられて孤立する。あと最近だと名作『UNDERTALE』も、敵を殺戮するプレイヤーへの批判を含んだゲームだった。

 じゃあ『ファークライ5』も、そういうゲームなのか? カルト教団こそが善であり、主人公は悪なのか? というと、そうとも言い切れないのがこのゲームなのだ。

 まあ、カルトが善なわけないよね。ひどいことしてるのは事実だし。現実でも、平和や正義を唱えながら暴力的な奴っていますよね。つまりこのゲームは、善vs.悪という単純な対立など描こうとしていない。異なる考え方の者たちが対立を深めると、最後には相手を討ち倒すことだけが目的になっていく。善悪を越えて、ただ自己目的化した暴力へと向かっていく。それを描いているのだ。

 そもそも、ゲームってそんなもんではあります。クリアするための条件=ルールとして表示されれば、思わず、何でもやっちゃう。かわいい動物でも殺すし、もちろん人間なら女子供でもバンバン撃ってしまえる。イヤーな気持ちになるかもしれないけど、だってそういう指示が表示されるんだから、しかたない。ゲームだし、いいじゃないかという気になる。

 だいたい『ファークライ』というシリーズは、このへんがすごくズルい。というのも、まずゲームを進めると主人公はほとんど超人みたいに強くなり、空も飛べれば超長距離で相手の頭を撃ち抜くのも朝飯前になるのだ。敵を翻弄し、ラクに皆殺しにできるようになると、それがとても気持ちいい。どんどんやりたくなる。万能の気分で、この土地で徹底的に暴れ回ってやりたくなるのだ。

 そうやって強引な進行と、至れり尽くせりの遊びやすさでプレイヤーをすっかり気持ちよくさせた後で、このシリーズの物語は毎度、さっき書いたように「暴力に取り憑かれた主人公の狂気」ってのを見せつけるのだ。

プレイヤーに押しつけられる「責任」

 おわかりと思いますが、つまりその狂気に犯された人物とは、主人公だけでなくプレイヤーのことも指しているわけだ。プレイヤーに殺戮を楽しむように仕向けながら、あとで「えっ、もしかして殺しを楽しんでるの? こわーい」とか言い出すんだから、ほんとにズルいやり口だ。

 だけどそのズルさがクセになる。ああ、俺は悪い奴だ、こんな暴力的なゲームを楽しむなんてと、ゾクゾクしながらのめり込んでしまう。それが最近の『ファークライ』シリーズなのだ。

 そんなふうにプレイヤーに責任を押しつけるとこが嫌いだっていう人もいるに違いない。だって暴力以外の選択肢を実質的に与えてないんだもんな。けど、さっきも書いたように、ゲームって本来そんなものなのだ。自分がふだんからゲームに何を強制されてるか自覚を促されるという意味では、なかなか貴重なシリーズじゃなかろうか。

 まあ、毎度それだと飽きるだろう。でも今のところは強烈に面白い。まして今作は、今までのシリーズに比べて妙にバカっぽさ、登場人物たちの変人ぶりが前面に出されている。だからこそ、かえって彼らに従ってゲームを進めてしまうことへの不安がシリアスに煽られるのだ。

 そう、これは今の時代、とてもシリアスに感じられるものなのだ。異常なミッションに抗うことができずに、どうしても暴力を選ばざるをえない。それは、為す術なくトランプ政権が成立してしまったり、今の時代はアメリカだけでなく、誰もが性急に暴力へと突き進んでしまいがちなことに似ているのだ。

ゲームが描こうとした悪夢が、現実に重なる

 このゲームは、単にアメリカをバカにしているだけじゃない。今の世の中で、僕たち自身が巻き込まれる狂気の可能性を描いているのだ。だからこのゲームのブラックな笑いは、今の社会情勢を思えば思うほど、次第に暗澹たる気持ちを与えるものになっていく。

 まあ、風刺をはらんだ作品なんてそんなもんでしょ? 現実世界をモデルにしつつ、良心に訴えかけてくる系でしょ? と思うかもしれない。しかしこのゲーム内容が最初に構想されてアメリカを舞台にすることが決まったのは、トランプ政権が成立するより前らしいですよ。つまり一部のアメリカ人が侮辱的だと怒るほどに、現実がゲームの描こうとした悪夢にぴったり重なってきたってこと。怖くないですか、それ。

 自分たちの予想通りの世界になって、ユービーアイソフトの開発者たちがうれしかったのか切なかったのかはわからないけど、おかげで前述のカナダ国境の壁みたいに、現実の小ネタもちょいちょい挟まれて、より今っぽいゲームにはなった。

 その小ネタのひとつとして、ゲーム内でラジオが伝えているところでは、作中でアメリカと北朝鮮の交渉は決裂し、後者は核攻撃の準備をしているという。主人公はその情勢を変えられない。これはゲームであり、プレイヤーは決められたことしかできないからだ。では、現実はどうだろうか? 実はそれが、このゲームの訴えかけてくることなのだ。

■さやわか
ライター、評論家。『クイック・ジャパン』『ユリイカ』などで執筆。『朝日新聞』『ゲームラボ』などで連載。著書に『僕たちのゲーム史』『文学としてのドラゴンクエスト』など。漫画原作に『キューティーミューティー』がある。

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