RCサクセションの記事一覧

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にほんのロック・バンドと云えば、“はっぴいえんど”である。そして、日本のロックンロール・バンドと言ったら、もう絶対に“RCサクセション”がふさわしい。
70年代初頭のフォーク期——当時高校生であった忌野清志郎(vo&g)の甘く切ない恋の高揚感が綴られた「宝くじは買わない」、思春期的焦燥感あふれる「2時間35分」、燻し銀の「ぼくの好きな先生」など、本当に素敵なフォーク・ナンバーを数多く輩出している。が、しかしセールス的にはまったく……であった。
70年代中盤のソウル/R&B傾倒期——清志郎のブラック・ミュージック志向が嵩じて、音楽性を徐々にシフト・チェンジさせていく。ちなみに、このころアノ歌唱法が確立されたといえよう。76年には、日本ロック史に燦然と輝くR&Bナンバー「スローバラード」、タワー・オブ・パワーも参加した強力作「シングルマン」をリリース。しかし、依然人気は低迷。同年発表された「わかってもらえるさ」は、当時の彼らの心境を代弁したかのようなナンバーであった。そして77年には、オリジナル・メンバーの破廉ケンチ(g)が脱退してしまう。
70年代後半〜解散まで——存続が危ぶまれるも、78年、フォーク・デュオ古井戸で活躍していたチャボこと仲井戸麗市(g)、新井田耕造(dr)が加入し、グッとロック度を加速させる。そしてこの頃より、清志郎はグラム・ロックを意識したド派手なステージングを繰り広げ、徐々に話題の存在となっていく。80年にはライヴ・アルバム『ラプソディ』を発表。ここで聴ける「雨上がりの夜空に」の素晴らしさったら……。これは日本のロックにおける、ある種の到達点だったのではないか。また同年、名曲「トランジスタ・ラジオ」を含む『PLEASE』を世に送り出す。この2作品は初のヒット作となり、日本全国のロック・ファンから、絶大な支持を獲得する契機となった。また82年、清志郎と当時YMOで人気絶頂であった坂本龍一との共演シングル「い・け・な・い・ルージュ・マジック」が大ヒットを記録。知名度を爆発的にアップさせていった。
こうしてライヴ・バンドとして、ヒット・メイカーとして、もはや押しもおされぬビッグ・アーティストとなった忌野清志郎、そしてRCサクセション。しかし、そこにあぐらをかくことなくアグレッシヴな姿勢をまったくくずさなかったところがスゴイ。それが顕著となったのが、88年の『カヴァーズ』における社会批評に富んだ詞作を巡る発売中止騒動であろう。そして90年、傑作『Baby a Go Go』を最後に20年以上に渡るアツき活動に終止符を打った。

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