村上弘明が40年越しに語る『仮面ライダー(新)』 オーディション抜擢と撮影秘話まで

村上弘明が語る『仮面ライダー(新)』秘話

 『仮面ライダーストロンガー』(1975年)で一度完結した仮面ライダーシリーズが、70年代後半に起こったリバイバルブームに乗って復活することになった。それが『仮面ライダー(新)』(1979年)である。放送当時から、主題歌・挿入歌の歌詞内と同じくスカイライダーという呼称でも親しまれている。

 さて、その『仮面ライダー(新)』の主演俳優は、一般公募のオーディションで決められることになり、4千人を超える応募の中から村上弘明が選ばれた。その頃の村上は大学生で、演技経験はなく、本来オーディション参加の必須項目だったバイク免許も持っていなかった。一方のスタッフは、原作者の石ノ森章太郎、プロデューサー平山亨、殺陣は大野剣友会、監督も山田稔を始め、これまでの仮面ライダーシリーズを手がけてきた百戦錬磨の顔ぶれだった。当時の所属事務所が申し込んでいたオーディションで思いがけない合格と、そんな芝居慣れしていない新人が放り込まれた現場の苦労たるや察するに余りある。

 『仮面ライダー(新)』は1年間の放送を全うし、その後の村上は時代劇にも進出して、活躍の場を広げながら着実にキャリアを積み重ねていった。そして2021年、東映チャンネルで『仮面ライダー(新)』の放送を控えた今、当時を振り返ってもらうべくインタビューを敢行した。デビューしたばかりの新人時代のこと、そして今……。8人目の仮面ライダー・筑波洋にまつわる思い出を語ってもらった。

『仮面ライダー(新)』の裏に“休学”と“バイクの特訓”

――今日はデビュー作『仮面ライダー(新)』のお話を伺っていきたいと思います。4千人以上の応募者の中からオーディションで合格して、出演されることになったんですね。

村上弘明(以下、村上):当時は大学生で、カメラの前で芝居をするというのも初めてでしたし、そもそも僕自身、それまでの仮面ライダーを観ていなかったんです。主役のオーディションも、所属していた事務所が申し込んでいたから行ったのであって、自分の中では仮面ライダーといってもピンと来なかったのが正直なところでした。乗り気ではなかった仮面ライダーでしたが、今思えば、デビュー作なので、撮影のノウハウを学んだということで、未だに記憶に残っている作品です。テレビドラマの撮影に関しても無知だったので、30分の子ども番組なら、1週間に30分~40分ほどあれば撮影できるんじゃないかと思っていました。しかも変身する役だから、自分の出番は15分か20分……1週間に20分ぐらい撮れば大丈夫だろう、大学に通う合間に撮影できるんじゃないかと思っていたんです。マネージャーにその話をしたら「何を言ってるの、大学なんか行けないよ? 休学届を出しなさい」と言われて、これはえらい事になったと思いました。

――休学することに迷いはなかったんですか?

村上:大いにありましたね。上京する時の親からの条件は、教職を採りなさいというものでしたが、親に内緒で仕事をしていましたから。テレビに出ているのが親にバレて、「なにやってるんだ!? 大学はどうした」と。1年間の仕事の契約なのでやらざるを得ないと説得したら、それが終わったら大学に戻るように言われました。ライダーの撮影終了後も仕事が続いたので、少し大学に通っては休学っていう状態が何度か続き、結局、大学は中退することになりました。『必殺仕事人V』(1985年)に入る少し前のことだったと思います。

――オーディションの時の思い出を少し教えて下さい。

村上:オーディションの最終選考には5人残ったんですけど、その中でド素人は僕ひとり。原作者の石ノ森先生が銀座かどこかへ飲みに行った時に、最終選考に残った5人の写真をテーブルに並べて「次の仮面ライダーなんだけど、どの人がいいと思う?」とホステスさんたちに聞いたら、その場の皆さんが僕の写真を指差したそうなんです。素人の僕が主役に選ばれたのは銀座のホステスさんの意見からだったのか? とショックを受けていたのですが、それから随分経った頃にプロデューサーの平山亨さんにその話をしたら、「それは違うよ」と否定されたんです。なんでも毎日放送の宣伝の根岸さんという女性が、絶対にこの人が良いと強く推してくれたからだと説明されました。僕が芸能界にデビューできたのは、その毎日放送の根岸さんのおかげだったんですね。

――主役オーディションの時はバイク走行のテストもあったそうですが、その頃はまだ運転免許を持っていなかったというお話ですよね。仮面ライダーの撮影を進めながら免許を取ったんですか?

村上:いや、そんな暇はありませんでしたね。番組の撮影中ずっと免許を持っていませんでした。オーディションの時の条件が3つありまして、まず年齢が27歳以下、身長は175cm以上、そして自動二輪の免許を持っている、というものです。僕が免許を持っていないと言ったにもかかわらず、当時の僕のマネージャーが応募したのです。そうしたら、あれよあれよで最終選考まで残ってしまったんです。撮影が始まってからは、カメラマンから「バイクで走っている姿も撮りたいから練習して欲しい」と言われたので、ロケの合間に結構練習しましたよ。東松山の誰も人がいない広いグラウンドみたいな場所で。練習でアクセルターンは出来るようになったんですよ。アクセルターンっていうのは、片足を軸にしてバイク本体を斜めに寝かせながらグイッと回転させるやつですが、確か番組でもやったことあるんじゃないかな? それからジャンプ台を使ってバイクでジャンプするのも挑戦したんですが、ちょうどその時に、東映の人が見に来ていて、「村上くん、それはちょっと止めて」って……。バイクのジャンプで怪我なんかしたら番組がストップになるからと。僕も若かったから色々なことに挑戦したい気持ちはあったけど、番組の危機について言われたら仕方ないなと思いました。

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