『エール』津田健次郎の語りが朝ドラにもたらす“エモさ” お茶の間の交流にも新しい息吹が

 3月30日にスタートした窪田正孝主演のNHKの朝ドラ『エール』。第1話では原始人から始まり、音楽がつないできた人々の歴史を大きな目線で振り返る風変わりな演出に、やや不安を覚えた視聴者も多かったろう。

 しかし、ある意味、こうした「アカデミックトンチキ」はいかにもNHKらしい演出であり、そこに単なる悪ふざけとは一線を画した品位を与えているのが、「音楽は~」と激シブの低音ボイスで表情豊かに語る人気声優・津田健次郎のナレーションだったと思う。

 そして、それは、この朝ドラが「耳で楽しむ物語」ということを宣言するかのようでもあった。

 もともと朝ドラは新聞小説やラジオドラマなどをヒントにして誕生したもの。初期は文芸作品を題材とし、文学性の高いナレーションを中心に据えるスタイルだったこともあり、「忙しい時間帯に、耳で聞いてわかること」を重要視してきた歴史がある。

 そうした意味で、声のプロである声優がナレーションを務めるというのは、適役であり、今まで気づかなかった意外な鉱脈に思える。

 しかし、その一方で、近年では好評だった『ひよっこ』の増田明美や『まんぷく』の芦田愛菜などの例を除き、朝ドラでは全般的にクセがなく、落ち着いたトーンのベテラン女優や、滑舌が良く正確な発音ができるNHKのアナウンサーがナレーションを担当するほうが好まれやすい傾向は昔から根強くある。

 はたしてベテラン女優でもなく、アナウンサーでもなく、声優がナレーションを務める効果とは? 結論からいうと、津田のナレーションには、アナウンサーにはない「エモさ」が確実にあった。説明が少なく、文学的だった前作の朝ドラ『スカーレット』との比較から、第1週では「ナレーションがくどい」「うるさい」といった声も一部にはあった。特に第1~2週では、登場人物やその背景、世界観を視聴者に説明する必要があるため、ナレーションは必然的に多くなる。しかも、本作では、子役時代からスタートしているだけに、ナレーションの果たす役割は余計に大きい。

 しかし、津田のナレーションは、そこを淡々とした説明に終わらせず、もう一人の登場人物のように存在していた。ナレーションのエモーショナルな語り口が、まだ幼い少年少女たちを優しく見守り、包み込むようだった。これは、声の良さだけでなく、声のみで演技する声優だからこそなしえる表現力の奥行だろう。

 ネット上には、「朝ドラエールのナレーションの津田健次郎さんがエモすぎる」「やばい。語りってこんなエモいものだっけ? 表現力がやばい。朗読劇みたい」などといった反響が日々見られる。

 

 なかでもとりわけ心に響いたのは、第3話。運動が苦手な裕一(石田星空)は、運動会の徒競走でコケてしまったが、それを励ますように藤堂先生(森山直太朗)がハーモニカ部の演奏を始める。そこで立ち上がる裕一と、かぶさるナレーション。

「それは生まれて初めて聞く、自分へ向けられたエールでした」

 ゆっくりと温かく、優しく。この一言に不意に心を撫でられたかのように、感情が溢れ出し、思わず涙してしまった視聴者は多かったことだろう。

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