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『高嶺の花』石原さとみと峯田和伸の恋は上手くいくのか? 一筋縄ではいかない華道と愛の関係性

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 婚約破棄によるショックで身も心も枯れかけていたもも(石原さとみ)は、直人(峯田和伸)を含む商店街の人々と出会ったことにより、少しずつ潤いを取り戻していった。しかし、7月18日に放送された『高嶺の花』第2話は、月島流の行事でももが創り挙げた見事な作品を、父親・市松(小日向文世)が睨むように見つめ、花を床に投げつけるシーンから始まる。

 「“後ろ活け”は、自分からは見えない。想像力で補え。もう1人の自分が向こう側で見ているように」。幼い頃のももは市松から鏡を見ながらこう指導を受けていたが、現在のももには向こう側の自分が見えておらず、彼女の華道の腕前が落ちていることが明かされる。もものぐらついた精神が作品にも反映されており、市松は顔をしかめる。

 小さい頃から華道を通して“魅せること”を叩き込まれてきたももは、自分自身にも演出をかけてしまいがちだ。ももだけでなく、他者からの印象をコントロールするために自分自身を演じるというのは、ほとんどの人が行っていることだろう。華道の“後ろ活け”のように、人は相手から美しく見られるように、計算しながら自分の行動を選択していく。

 実際ももは、周りにいる人が増えれば増えるほど、オーバーなリアクションを見せている。自転車屋では、直人との格差を声を大にして訴え、キャバクラでは酒の力もあり直人に激しいボディータッチを仕掛ける。しかしその姿はどこかサイズの合わない靴を履かされているようで、見ている我々のみならず、もも自体もしっくりきていないのではないだろうか。

 一方ラストシーンで直人と太鼓を叩き、ベンチで2人きりになったシーンでのももは、大きな鎧を外したように、自然体で声色も柔らかに。前回の朝ごはんの場面もそうだったが、ももと直人が2人きりになると、直人の口数が少ないせいもあり、全体的に台詞の多い本作の中で静けさが生まれる。格差があるとは言え、ももにとって直人が心を許せる唯一の他人だとすれば、やっぱり2人はお似合いのように見えてくる。

 ただ、ありのままをさらけ出させる直人の力は、ももの華道に影響を与えてくる可能性もある。想像力を使って自分を魅せる必要がなくなれば、ももはきっと作品作りでも向こう側の自分が見えないままだ。「芸術家に愛などいらん」という市松の言葉は、愛を手にしたももの未来を見据えている気がしてならない。

      

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