>  > 現代に通ずる『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』

単なる“男対女”を描いた映画ではない 『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』の現代に通ずるテーマ性

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 今年5月に日本公開された米映画『ゲティ家の身代金』は、本編の内容もさることながら、俳優に支払われたギャラの男女格差で話題となった。大富豪ジャン・ポール・ゲティ役には、当初ケヴィン・スペイシーがキャスティングされていたが、性的暴行事件の発覚で降板となり、代役を立てての再撮影が必要となった。この追加撮影に支払われたギャラは、マーク・ウォールバーグには150万ドル(約1億6千万円)であったのに対し、ミシェル・ウィリアムズには日当80ドル(約8700円)、トータルでも1000ドル以下(約11万円以下)だったという(参考:The Guardian)。 初めてこのニュース記事を読んだとき、数字の記載ミスではないかと考え、同じ問題を報じる別の記事を探して金額を再確認したことを覚えている。アカデミー賞にノミネートまでされた俳優が、1日働いても1万円受け取れないという事実には仰天するほかない。1億6千万円と11万円。なぜ男女でこれほどに違うのか。

 昨今、男女の賃金格差は映画業界で活発に議論されるトピックとなった。共演する女性俳優が同じ額のギャラを受け取れないなら、その映画には出ないと公言したベネディクト・カンバーバッチ(参考:The Guardian)や、男女の賃金格差、白人と有色人種の賃金格差解消を目指すジェシカ・チャステイン、オクタヴィア・スペンサー(参考:CNN Entertainment)など、さまざまな映画関係者が状況改善へ向けてアクションを起こしている。映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』の冒頭で語られる、男女テニスの賞金格差(女性選手は男性の8分の1しか賞金を受け取れない)にまつわるトピックは、70年代を舞台にした物語でありつつも、まさに現代に通じるテーマ性を持つものだといえる。いま撮られるべき映画であり、あらたな社会変革のきっかけを作ったひとりの女性にまつわるストーリーだ。

 1973年、テニス選手のビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)は、女性選手の不当な扱いに不満を抱き、全米テニス協会を脱退。みずから「女子テニス協会」を立ち上げて、女子プロテニスをひとつのツアーで統一した。女子テニス協会の契約金1ドルを掲げて記念撮影する女性たちの姿は、男性優位主義のスポーツ界をあからさまに挑発し、全米テニス協会の男性役員を苛立たせるのだった。一方、かつてのテニス世界王者ボビー・リッグス(スティーヴ・カレル)は、55歳となり表舞台からは姿を消し、会社員として退屈な日々を送っていた。もう自分の人生は終わってしまったのか。現役時代の輝きを取り戻したいボビーは、29歳のビリー・ジーンに対戦を申し込む。「男性至上主義のブタ対モジャ脚のフェミニスト、ってのはどうだい」と、ごていねいに売り出し文句まで準備するボビー。世間の注目が集まるなか、ついにビリー・ジーンはボビーと試合を行うことを決意する。

 イメージに反して、『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』は「男性至上主義のブタ対モジャ脚のフェミニスト」がテニスで勝負するという単純な物語ではない。劇中に登場するふたりのテニス選手は、そうしたステレオタイプな形容詞にはあてはまらない人物で、ゆえにストーリーは深みを増すのだ。ボビーは目立ちたがり屋で、奇矯なふるまいばかりするが(女装やヌード撮影のモデルになるのが好きだった)、本当に女性蔑視をしていたわけではない。単に「根っからのエンターテイナーであり、ペテン師」(劇場用パンフレット、監督インタビュー内記述)でしかなく、彼特有のあおり立てる発言は単に芝居である。ビリー・ジーンもまた、きまじめで旧来的な価値観を残す女性であり、どこか自分の感情を押し殺すような生き方をしてきた。彼女はテニスを通じて自分自身を解放させたが、先進的なフェミニストとはまた違っている。「テニス選手で、たまたま女性だった」というビリー・ジーンの台詞にある通り、ただ純粋に自分の存在価値を認めてほしいと願う人物であった。

      

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