『レディ・プレイヤー1』はスピルバーグ監督の遺言のよう? 最後のメッセージに込められた“本音”

松江哲明の『レディ・プレイヤー1』評

 劇中の登場人物たちが仮想世界“オアシス”で躍動する姿を単純に楽しんだ一方で、“とんでもないもの”を観てしまったという感覚が鑑賞後に残りました。なぜかと言うと、本作がスティーヴン・スピルバーグ監督の遺言のように思えたからです。

 舞台は近未来。貧富の差が進み、人々が現実に希望を見出しづらい世界が冒頭から映し出されます。そんな世界とは真逆の、誰もが何者にでもなれる仮想世界がオアシス。オアシスの創設者・ハリデーが死の間際に遺した“イースターエッグ”を見つけるべく、主人公ウェイド(タイ・シェリダン)らプレイヤーたちが奮闘するという物語です。

 ガンダム、アイアン・ジャイアント、 ハローキティにバットマンと、 あらゆるポップカルチャーの有名キャラクターたちも登場し、「ぜひ参加したい!」と思わせるすごい映像体験が待っています。 そんなオアシスのきらびやかな世界とは反対に、 オアシスの創設者であるハリデーが幼少期に過ごした部屋が映し出されたとき、たまらなく切ない気持ちになりました。

 オアシスと同様に、『ジョーズ』『E.T.』『ジュラシック・ パーク』など、挙げたらキリがないほど、スピルバーグ監督は映画を通して人々を夢中にさせてきました。プロデューサーとしても数え切れないほどの大ヒット作を手がけ、デビューから40年間以上ハリウッドを先導してきた、 紛れもなく映画史に残る人物です。その姿はオアシスを創造し、伝説の人物となっているハリデーとも重なります。しかし、ハリデーはただ栄誉だけを手にしたのではありません。オアシスを作る過程で、親友を失い、恋した女性も失ってしまう。さらに、人々を現実の世界から引き離し、オアシスに没入させてしまったことに対して葛藤する姿もありまし た。観客が無邪気に喜び驚く映像を作ることを楽しむスピルバーグの姿が感じられる一方で、そんなハリデーの姿に、今の世界を席巻するハリウッド映画の潮流を形成してしまった責任を感じているのではないかと思わずにいられませんでした。

 スピルバーグの私的な部分がむきだしになっているのはキャラクターだけでなく、映像でも炸裂しています。スタンリー・キューブリックに対して尊敬の念を抱いていたことは有名な話ですが、それにしてもゲームの世界にまさか『シャイニング』を持ち込むとは思いもよりませんでした。ジャック・ニコルソンこそ出てきませんが、映像の質感からセットの雰囲気、カメラアングルまでどこを取っても『シャイニング』の完全再現です。原作小説『ゲームウォーズ』では『シャイニング』が取り上げられていないにもかかわらず、あえて本作を選ぶところにスピルバーグの最大級のキューブリックへの敬意が垣間見えます。決して『シャイニング』が80年代のカルチャーを代表する1本とは思えないのですが(笑)。

 スピルバーグとキューブリック、2人とも映画史に残る監督であることは間違いないですが、片や早撮りの演出家でありヒットメイカー、もう1人は寡作の完璧主義者というイメージです。キューブリックの意志を引き継ぎスピルバーグが監督を務めた『A.I.』は、ほかのスピルバーグ作品とは一線を画する不思議な作品でした。入り口は『ピノキオ』、中盤は『シンドラーのリスト』、クライマックスは『2001年宇宙の旅』という、スピルバーグでなければ撮れない凄みがありました。本作『レディ・プレイヤー1』もまた、『A.I.』と似た、なんとも言えない“居心地の悪さ”があるのです。例えば映画の冒頭、専用のゴーグルをかけてゲームの世界に没頭するプレイヤーたちを、カメラは客観的に映し出していきます。ヒーローこそスタイリッシュに登場しますが、モニターに向かってゲームをする太った人は、ダイエットに励んでいるようにも見えます。ゲームに夢中になる、というのはこういう姿を曝しているのだ、と言わんばかりに。インディ・ジョーンズをあれだけ格好よく撮れる人ですが、人間の醜さを映すのも一級です。もちろんキューブリックも、です。

 ラストシーンでは、とあるルールがオアシスの世界に追加されますが、これだけバーチャルな映像体験を観客に提示する一方で、最後に突きつけたこのメッセージにスピルバーグの本音が詰まっているように感じました。このラストシーンを観たとき、まったく別のジャンルの作品ですが、キューブリック監督の遺作『アイズ・ワイド・シャット』を思い出しました。あのラストの「ファック」というセリフは映画という夢を醒ますに相応しいものでした。僕は映画の大部分で“幻想”を観客に提示しながら、最後の最後に“現実”を突きつけるという構造が、2作品に共通しているように思います。

 スピルバーグ作品は「夢の世界へようこそ」と言っておきながら、「夢を見てるだけじゃダメだ」と正論(お説教?) を入れることが多々あります。どうしても“娯楽作品”のイメージが強いスピルバーグですが、夢の世界を誰よりもうまく見せてくれる一方で、残酷な現実を突きつける作家でもあるのです。しかし、決してポール・ グリーングラスのような現実と錯覚させるようなドキュメンタリー的演出は行いません。カメラワーク、カット割、音楽の盛り上げ方、そのどれもが劇的です。今年公開された『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』は、スピルバーグの“社会派”映画と思われがちですが、作品の中でやっていることは『激突!』と同じでした。強大な敵は姿を見せず、機械は一度動き出すと止まない。そして不利な状況にあった人たちがそれを倒すカタルシス。映画で物語を伝える方法を熟知しているからこそ、どんなテーマでも「これぞスピルバーグ」と断言できる魅力的な演出があるのだと思います。そして、その方法が時代を超えて、自身がやりたいこととブレがないことが凄いです。

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