菊地成孔の『ブラックパンサー』評:本作の持つ逸脱的な「異様さ」、そのパワーの源が、もしトラウマであり、タブーなのだとしたら

菊地成孔の『ブラックパンサー』評

もう、目が回ってきたよ

「ヴィブラニウムとか言ってるけど、ウラニウムやプルトニウムの暗喩でしょこれ」とか、わざわざ言うのか、他ならぬマーヴェルの映画をポップコーン片手に楽しみに来た、大の大人が。しかし、敵役キルモンガーの最終目的は、ほぼほぼ全く、BPPつまり<ブラックパンサー>の目的そのものなのだ。それを<ブラックパンサー>が命がけで食い止めるのである。

これはタブーやトラウマと呼べるだろうか?

 プロレスという競技を指す名言の一つに「底が丸見えの底なし沼」というのがある、あるいはもう少々過激に(BPP的なやり口を借りれば)、ナチスドイツの宣伝省ゲッペルスは「大衆を本当に動かすものは教育ではなく娯楽だ」と言った。

 ねえ知っているの、アメリカの多くの観客は? ねえ知らないの? 日本の多くの観客は? 知ってるよねえ? 知ってるからこその、「それは言っちゃダメでしょ(笑)」だと筆者は信じたい。もちろん、筆者が買った劇場公開用のパンフレットには、こんなことは一文字も書かれていないどころか、危険回避のためとしか思えないが、今をときめく大スターのスターリング・K・ブラウンが載っていないのだ。それどころか、ストーリー解説の部分には、ウンジョブのエピソードが、まるまる落とされている。主人公二人の対決の契機となる、一種の物語の原動力ですよ(笑)。明らかな「見て見ぬ振り」「それを言うのは野暮」でしょ?(笑)

 もしそうでなければ、筆者はピエロを超えたことになってしまう。ちょっと前は、韓国人の若者のほとんどが日帝時代について知らず、日本人の若者の多くが、我が国が対米戦争をしていたことを知らない。ひどい世の中になったもんだ。とか言われた。しかし、ネットにこれだけ情報があふれているのだ。学校で教えて貰わなくたって知っているはずだ。SNSに批判的な立場をとる筆者でさえ、そうした教育効果についてはネットの性善説的な側面として認めている。

もうピエロ役は疲れたわ

 筆者は、社会問題、合衆国内での公民権運動や反体制運動の歴史についての、一般人のリテラシーなんかどうだって良い。日本人のそれに関しては尚更である。筆者が問題にしたいのは、本作の持つ、逸脱的な「異様さ」、そのパワーの源が、もしトラウマで、あり、タブーなのだとしたら、だが、それがあまりにあけすけな、つまり暗号でもない記号、あるいは、記号ですらない、目の前にぶら下がってる看板みたいなものなのにもかかわらず、それがトラウマやタブーとして機能するならば、その抑圧(もしくは単純に無知)は世界的なものであり、世の中は歴史についてとてつもなく酷い状況である。ということである。BPPの生き証人も、PEのメンバーも存命している。彼らが「面白れえ洒落だな」とポップコーン片手に本作を鑑賞することを心から祈る(ていうか、Twitterとかで、もう何か言ってないか? 見ないから知らないけど)。

(文=菊地成孔)

■公開情報
『ブラックパンサー』
全国公開中
監督:ライアン・クーグラー
製作:ケヴィン・ファイギ
出演:チャドウィック・ボーズマン、ルピタ・ニョンゴ、マイケル・B・ジョーダン、マーティン・フリーマン、アンディ・サーキス、フォレスト・ウィテカー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)Marvel Studios 2018
公式サイト:MARVEL-JAPAN.JP/blackpanther

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