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北原里英、“女優道”への歩み 白石和彌監督作『サニー/32』は“映画と観客”の関係を再考させる

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 「お金を払ってここに来ているみなさんは、共犯です」。ピエール瀧演じる柏原が、ある目的のために集った人々に向かって、釘を刺すように口にするこのセリフに思わずハッとさせられる。この、“みなさん”の中に、観客である自分も含まれているのだと気がつくからだ。現代社会の暗部に鋭くメスを入れながらも、エンターテインメント作品として映画を放つ白石和彌監督の最新作『サニー/32』。現役アイドルを主役に据えることで、“映画と観客”との関係を、改めて考えさせられる作品になっている。

 本作の主演であり、映画の顔となるのは北原里英。AKB48グループのひとつ、NGT48に所属しキャプテンを務め、“きたりえ”の愛称で親しまれる彼女は、長らく走り続けてきたアイドル界からの卒業をこの春に控えている。しかしなぜ、白石作品の主演が、“アイドル・きたりえ”なのか。かつて若松孝二に師事し、『凶悪』(2013)や『日本で一番悪い奴ら』(2016)などの骨太エンターテインメント作品で私たちを戦慄させるほどに魅了し、観客の期待の声に応えるように新作を連発するが、毎度その印象は異なる。

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 『凶悪』と同じくノンフィクション書籍を原作としながら、派手にエンタメに傾倒した『日本で一番悪い奴ら』。闇夜に揺らめくネオンのごとく、儚い夜の女性たちの“生”に迫った『牝猫たち』(2016)や、一筋縄ではいかないラブストーリー『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017)。それらの毛色は違うものの、いずれにも“見世物”としての一面がしばしば見出せる。『日本で一番悪い奴ら』の誇張されたキャラクターたちの交錯は言わば一大ショーであり、『牝猫たち』はそもそも女性たちが“見世物”として晒される。そして『彼女がその名を知らない鳥たち』には主人公の憧れを具現化した、幻想的で“見世物的”なシーンが登場する。

 “サニー”とは、“小学生による同級生殺害事件”の犯人の通称だ。当時11歳だった小学生女児が、同級生を殺害。ニュースなどで扱われた被害者のクラス写真から加害者の顔が特定され、右手は3本指、左手は2本指の独特なピースサインから“サニー”と呼ばれるようになる。そして「犯罪史上、もっとも可愛い殺人犯」という“見世物”としてネット上などで神格化され、多くの熱狂的なファンを生み出したとのことである。

 悩みを抱える生徒たちを私なりに救ってあげたいと、日々奮闘する中学教師である赤理(北原里英)は、ある日このサニーなのだとして、サニー信者である柏原(ピエール瀧)らに拉致される。状況が飲み込めず、恐怖に泣き叫ぶ赤理に対して柏原が、「いまのサニーはダメだ。輝きを失っている」とこぼす印象的な場面がある。サニーとは彼らにとってアイドルであり、スターであり、そしてカリスマであり、信仰の対象であり、いずれにしろ“見世物”なのである。信者として彼女を神格化し、イメージからズレてしまうと批判する。これはアイドルだけに限らず、“見世物”にならざるを得ない表舞台に立つ者たちのある種の宿命であり、観客の傲慢さをあぶり出している。つまり、“見世物と観客”の関係を、風刺した場面だとして捉えることができるだろう。当然、白石作品と観客との関係においても言えることであり、ひいては“映画と観客”との関係においても言えることなのである。

      

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