石井裕也監督が語る、変わりゆく東京「オリンピック前の最後の風景や気分を撮れた」

石井裕也監督インタビュー

 慎二は池松壮亮そのもの

――誤解している人もいるかもしれませんが、詩集が原作とはいえ、脚本自体はほぼ石井監督のオリジナルですよね?

石井:そうならざるを得ないというか、読み手の価値観と感性みたいなものがないと、そもそも詩集は読めないですから。要するに、一般的な感覚で詩集を読むということは、多分不可能なんです。誰が読んでも同じプロットができるわけでは当然ない。どの言葉に引っ掛かるかも人それぞれだと思うし、引っ掛かり方も違うと思います。それが、孫さんも言っていた「お前の感覚を使え」って話になるんですけど。だから、それぐらい自由というか、それが許されたという解釈でやりました。もちろん、その行きつく先は詩集に描かれている気分にしたいというか、それだけはやっぱり押さえないといけないとは思っていましたけど。

――詩集が原作だけに、「言葉」に対する意識が、いつもとは違った?

石井:うーん、詩の引用とかは2ヵ所ぐらいやっていて、あと台詞の一部で使ったりはしています。でもそれ以上に、何か言葉を本来の意味ではなく、ただ無駄なものとして、まったく人の耳には届かないものとして使おうという意識がありました。

――「慎二」がときどき語り始める、意味のない言葉とか?

石井:そういうことです。言葉が本来の意味をなさずに認識されるっていうのは、今の現代の、特に都市の状況、そのままだと思うんですよね。詩の引用についても、今回は、石橋(静河)さんが新人だったということもあって。石橋さんの詩のナレーションを録ったのは、撮影前なんです。だから、さらに新人というか、何もかもわけがわからないまましゃべっているわけです(笑)。そのしゃべり方とか声質みたいなものは、絶対に使おうと思っていたので。むしろ、そっちのほうが僕にとっては重要でした。

――なるほど。演技初挑戦である彼女のまっさらな言葉をそのまま使おうと。あと、「言葉」と関連して、本作は「音」の演出もかなり細かくやっているように思えたのですが、それについては?

石井:今回、主観映像を多用しています。いちばんわかりやすいところで言うと、慎二の主観映像なんですけど、デートで街を歩いているときも、ポツポツと主観映像が入ってきて。あれが重要だと思ったんですね。つまり、音を意識せずに渋谷のセンター街とかを歩くと、広告の音しか聞こえない。で、それをパチッて消すと、かすかな客引きの声だとか、ちょっとしたおしゃべりの音しか聞こえなかったりする。意識して聴く音と、実際そこで鳴っている音って、全然違うんですよね。なので、そういう主観の音と客観の音の違いみたいなものは、かなり意識して作りました。慎二の主観のカットになったときは、女の人のキャーッていう嬌声みたいなものを大きめに入れて、他の音を敢えて消したり。音のモンタージュによって、東京の街を歩いている息苦しさとか、そういった気分みたいなもの、ひいては彼らがいる世界みたいなものを描きだせるんじゃないかと思って。そこは頑張ってやったつもりです。

――劇中何度か登場する、ストリートミュージシャンの存在が気になりました。

石井:まったく自分の人生と無関係の言葉が氾濫して垂れ流されている状況の中で、真っ当なことを歌っていても、誰の耳にも届かない。そういう存在として、ひとつ作ったんですよね。なんかそういうことばっかりじゃないですか? たとえば、渋谷の街の真ん中に立って、「愛は最高だ」って歌っても、きっと誰も見ないですよね。まあ、「愛は最高だ」っていうのが真理かどうかは置いておいて、仮に何か真理みたいなものを言ったとしても、多分誰も聴いてくれないというか。自分が言いたいこととか考えていることは、人には届かないんですよね。それを象徴する人物として、「決して歌は上手くないけど、一生懸命真っ当なことを歌っている女の人」というのを作ってみたんです。

――ひたすら「がんばれ」って歌っていましたね。

石井:ホントに、何の意味もない「がんばれ」なんて、誰も聴いてないんですよね。そもそも、誰に向かって言っているのかもわからない。でも最後、慎二が「俺に言ってるんだ」って言うじゃないですか。要するに、大きな声で自分の気持ちを歌い続けていれば、いつか誰かの耳には届くかもしれない。少なくともそういう可能性はある。

――詩の言葉から何を感じるかは読み手次第であるのと同じように、歌の言葉が何を意味するのかも聴き手次第というか。

石井:そうですね。人間関係だって見方次第で当然変わるし、社会とか世界だって、その人次第で、ほんのちょっとぐらいは変わるんじゃないか。そういうふうには思いますけど。

――その可能性をどこかで信じているというか……それは、石井監督自身の思いとも重なる部分があるのでは?

石井:うーん。以前、「あなたって、最終的には前向きですよね?」みたいな質問をされて、ちょっと悩んじゃったんですけど(笑)。変な話、いろいろあるけどそれでも生きているわけじゃないですか。少なくとも、自殺しない根拠みたいなものはあるというか。やっぱり、曲がりなりにも表現ということをやっている人間として、その根拠みたいなものは、見出さなきゃいけないと思うんです。そう、「人生は最悪だ」って言うのって、すごく簡単じゃないですか。「もう世の中は最低で、今後どんどん悪くなっていくけど、どうするよ?」みたいな。

――劇中の慎二も、最初そんなようなことを言っていましたが、最後には別の思いを口にしますよね。

石井:だから、可能性ですよね。希望には満たないけど、「いいことが起こるかもしれない」可能性というか。やっぱり、希望があるなんて無責任なことは、軽々しく言えない時代にはなってきていると思います。

――パッケージの特典映像にあるインタビュー集で、池松さんが「慎二は、石井監督そのものです」と言っていましたが、そういう側面もあるのでしょうか?

石井:僕はむしろ池松くんそのものだと思っています。完全に「当て書き」です。僕自身、こういう池松くんが見たいというような思いもありました。もちろん、最初に話したように、僕の感覚とか考え方に近いものは、当然脚本に反映されているとは思いますけど、あのキャラクターに関しては、自分を出そうという意識は一切なかったですね。

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