“ユニバース”過剰時代における、『マイティ・ソー バトルロイヤル』の役割

荻野洋一の『マイティ・ソー』評

 シリーズ第3作たる今作『マイティ・ソー バトルロイヤル』にも同じことが起こる。まず最初に追放と転落がある。貴種流離譚であると同時に、宮廷陰謀劇のパロディでもある本シリーズは、第1作の義弟ロキに続いて、またしても親兄弟の中に強敵を発見しなければならない。マイティ・ソーの姉であるヘラ(ケイト・ブランシェット)である。彼女は宇宙を滅ぼすほどのパワーをもつ死神で、一族の嫌われ者であるが、ヘラの容姿はどこかしら、ディズニー映画『マレフィセント』(2014)の魔女マレフィセントを演じたアンジェリーナ・ジョリーに似かよっている。姉ヘラの凶暴さを前にすると、弟マイティ・ソーもまったく歯が立たない。彼女は、ソーの絶対的な力の源泉だったはずのハンマー「ムジョルニア」をかんたんに木っ端微塵にしてしまった。ソーは自慢の「ムジョルニア」を失った上に、辺境の惑星に放逐される。はじめに追放と転落ありき。

 追放と転落だけではない。「ムジョルニア」をバラバラにされたというのは、スーパーヒーローの潜在的な去勢恐怖の具現化である。彼はハンマーを失い、去勢されたのだ。さらに追放された辺境の惑星で、自慢だったブロンドのロングヘアーも無理やり散髪されてしまう。やはりここでも去勢が待っていた格好だ。継承すべき玉座を失い、故郷を失い、敬愛する父を失い、愛用の武器を、自慢のタテガミを失う。ここからソーのリベンジが始まる。『ダークナイト ライジング』で、腰の骨をベインにへし折られて奈落の底に突き落とされたバットマンが、リベンジに戻ってくるように。

 ソーがハルクやロキたちと即席で結成した新グループは、彼の地球時代に加入していたアベンジャーズをもじって、「リベンジャーズ」と名づけられる。彼らは一応、神ということになっているはずだが、この阿呆らしさは見ている側がまじめに付き合うのもやっとで、『シビル・ウォー』でのキャプテン・アメリカの悲愴やアイアンマンの苦悩はいったい何だったのか、という低レベルに持ちこんで、現代アメコミ映画にナンセンスさ、無責任さの再導入を試行している。ヒーローの座を取り戻そうともがくマイティ・ソーは、故郷の市民たち(彼らも全員、神のはずだが)を引き連れて、脱出する。まるで追っ手を逃れてエジプトを発つユダヤの民を率いるモーゼのごとく。だからといって、挿入歌がレッド・ツェッペリンの『移民の歌』というのも安易というか、諧謔味に富むというか。何ごともこんな調子で、スーパーヒーローの楽天的な伸びやかさと、ヘンテコな脱力感を織り交ぜていく。

 こんな荒唐無稽かつヘンテコな脱力感が、来年の正伝たる『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』に結びつく、というのだが、いったいどんなことになるのだろうか? 見当がつかない。楽しみである。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『マイティ・ソー バトルロイヤル』
全国公開中
原題:「THOR/RAGNAROK」
監督:タイカ・ワイティティ
製作:ケヴィン・ファイギ
出演:クリス・ヘムズワース、トム・ヒドルストン、ケイト・ブランシェット、マーク・ラファロ、アンソニー・ホプキンス 他
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)Marvel Studios 2017
公式サイト:MARVEL-JAPAN.JP/THOR_B

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