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松田龍平と長澤まさみ、官能的な愛の表現ーー黒沢清『散歩する侵略者』が描く鮮烈な人間賛歌

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 これほどまでに官能的で強烈な、愛の表現があっただろうか。

 詳細を明かすことはできないが、濡れ場1つキスシーン1つあるわけではないこの静かで壮大で美しい、そして愛すべきヘンテコな映画において、松田龍平と長澤まさみが演じるラブホテルの1シーンは、もう一生忘れることがないだろうと思うほどにゾクゾクと強烈な痺れを伴って迫ってきた。

 映画『クリーピー』、『岸辺の旅』の黒沢清が、元は劇団イキウメの舞台であり、前川知大の小説を原作に監督を手がけた。妻・鳴海(長澤まさみ)のもとへ数日間の行方不明の後、夫・真治(松田龍平)が「侵略者」つまり宇宙人に乗っ取られて帰ってくる。どうやら宇宙人が地球を侵略しにやってきて、人類はもうすぐ滅びる運命にあるようだ。何らかの異変を感じとっていたジャーナリスト・桜井(長谷川博己)の元にも、宇宙人を名乗る若者・天野(高杉真宙)が、自分をサポートする「ガイド」になってほしいとやってくる。その侵略の方法は、人々の概念を奪うこと。侵略者たちは人々の概念を奪い、収集し蓄積することによって侵攻していく。概念の収集とその欠落についてというと、なにやら小難しそうな印象もあるが、この映画は、単純に愛の物語として、侵略する彼らと侵略される彼らが「行き着くところまで行く」物語なのである。

 主な登場人物は、松田龍平と長澤まさみ演じる真治と鳴海の夫婦、長谷川博己と高杉真宙演じるジャーナリスト・桜井と若者・天野という2組の侵略者とガイド、そしてガイドを持たない侵略者である恒松祐里演じる女子高生・立花あきらの5人である。この物語の面白さは、侵略者とガイドがその関係性を構築していくことによって、さらには侵略者が侵略される側の概念を奪い、吸収していくことによって、侵略者は人類側に寄るようになり、人類は逆に侵略者側に寄っていくという現象が起きることだ。終盤に近づくにつれてこれは鮮烈な人間賛歌であると感じるのも、そういった部分があるからだろう。

 だが、1人だけ例外がいる。自分の手についた血を物珍しそうにペロリと舐める冒頭からとにかく強烈な「侵略者」のイメージを放つ、恒松祐里演じる立花あきらだ。彼女は他の侵略者と違って、その卓越した身体性を持って多くの殺戮を繰り返すが、概念を奪う行為自体はほとんど行わない。途中から天野・桜井と行動を共にするが、自分のガイドも作らない。彼女は他の侵略者と違って関係性も築かず、多くの概念の収集と順応をしなかったためか、常に自分の身体を容器として観察している。血まみれで道を歩くセーラー服の彼女の背後では、そのことに動揺した車が何台も大破し大パニックが起きているというのに彼女は時折自分の手を観察しながら、気だるげに歩いている。それは車のフロントガラスの中に腕を突っ込んで中の人を殺した後に自分の腕の状況をしげしげと観察している場面でも同じだ。彼女を見ていて思うのは、人は人との関係性や概念を得ることによって物事を理解し、自分の身体を自分のものだと認知していくのだろうということだ。彼女にとって、恐らくその観察すべき身体はどこまでも自分自身ではなく、容器でしかない。

 逆の現象が起こるのが、松田龍平演じる真治だ。彼が最初、人類の理解よりまずは自分のことを理解したらと妻に言われた時、彼は「加瀬真治?」と尋ねるように、この時の真治は、自分を真治であるとちゃんと自覚していない。だから、その後、散歩中に出会った青年・丸尾(満島真之介)に名前を聞かれて、加瀬真治ではなく、ガイドである鳴海が常日頃呼びかける呼称である「真ちゃん」であると答える。「名前」という定義がわかっていなかっただけとも言えるが、まだこの時は唯一繋がりを持った他人が自分のことをなんと呼ぶかで、「自分」が何者であるかを把握している。実感を伴わなければ、人は「自分」にはなれない。だが、その後丸尾と再会した時は、「俺はね、真ちゃんじゃない、加瀬真治って言うんだ」と答えるのである。それは、彼のアイデンティティの成立であると言える。「真治として100%完成していないんだけど、今は俺が真治」であり別人ではないと彼は認識するのである。

 彼は、まず前田敦子から「家族」の概念を奪い、次に満島真之介から「所有」の概念を奪い、次に光石研から「仕事」の概念を奪う。奪われたほうは、これまで固執し、縛りつけられてきた概念から解き放たれ、かえって救われるが、それらを把握し吸収していく彼は、宇宙人としての侵略という義務を「仕事」と割り切り、鳴海が言う「あなたは真治、私の夫」というアイデンティティに基づいて真治としてのライフスタイルを優先させるという、どうにも人類的な行動をとり始める。

 一方、人類側はというと、長澤まさみ演じる鳴海である。彼女と真治の関係性は「夫婦」であるが、真治の浮気などによりその関係性は終わっている。夫婦関係について問われ「とっくに終わってる」と言う鳴海に対し、自分の「ガイド」になることを提案する真治。後に真治は、「ガイド」の意味を「信頼できるパートナー」だと言う。ここで2人の関係は、これまでのとっくに終わっている「夫婦」という言葉から、「信頼できるパートナー」という共通した意味合いを持つ「ガイド」という言葉にすり変えられ、再構築されていくことになる。完全に2人で共有したわけではない過去を2人で懐かしみつつ(侵略された真治の過去の記憶を現在の真治は引き継いでいる)、真治であって真治ではない真治、味覚も彼女との接し方も違う、「こうなることもできた」真治と新しい関係を構築していくことで、彼女は真治を、かつて真治を愛していた時期のように再び、いや新しく愛し始める。

      

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