長瀬智也演じる律に救いは訪れるのか? 『ごめん、愛してる』最終回に寄せて

長瀬智也に救いはあるのか『ごめん、愛してる』

 9月17日の放送でいよいよ最終話を迎える『ごめん、愛してる』。誰にも愛されずに生きてきた律(長瀬智也)と愛情深い凛華(吉岡里帆)の切ない恋に呼応するように流れる宇多田ヒカルの主題歌「Forevermore」を聴いてもわかるように、“この人がダメなら、代わりの誰か”と簡単に割り切れない想いというものを考えさせられる。

 律の母親である元ピアニストの麗子(大竹しのぶ)は、律が生きていたことも知らず、死産したものと思い込んでいた。そして、律を愛せなかったぶん、サトル(坂口健太郎)にすべての愛情を注いできた。一方、母に溺愛されて育ったサトルは自由奔放なサックス奏者の塔子(大西礼芳)との結婚がダメになると、それまで見向きもしなかった凛華に執着するようになる。

 律の身代わりとして母に愛されてきたサトルは、塔子の身代わりとして凛華を愛するようになる。だが、凛華が純粋に愛情を傾けているのは余命いくばくもない律なのだ。律自身、弟のような存在だったマフィアの跡取り息子をかばい、身代わりとなって頭に銃弾を受けてしまった。

 人生のチャンスを掴むためには自分で気づき、自分で行動しなければならないが、人生の軌道修正をするためには覚悟だけでなく心の支えが必要だ。誰かから必要とされること、自分も心から愛することで生きる意味と喜びを感じられるのだ。それがチャンスを掴む原動力になる。

 誰かの代わりなどではなく、凛華が自分を選び、自分という存在を心から必要してくれていると感じたとき、律は覚悟を決めた。不幸続きだった恨みを晴らすのではなく、かかわりがあった人たちの苦しみを軽くするために身を捧げるのだった。

 人生のやり直しのチャンスも、心の支えとなる存在との出会いも、いつあるかわからないものだ。時間は有限で、誰にでも死は訪れる。愛について深く考えることもなく代用品のような存在を見つけ、愛と向き合うこともなく生活を続けることはできる。

 韓国のオリジナルの作品が大ヒットしたというのも、それだけ人生の軌道修正は難しく、一度でも落ちたら這い上がるチャンスが限りなく少ないのが現実だからだろう。それでも主人公は最後に愛を感じることができた。それだけが救いになったのだ。

 救いといえば、7話で律がサトルの看病で衰弱した凛華にカツ丼を食べさせ、「飯を食うか、俺とキスするかどっちか選べ」と冗談のような、本気を見せるシーンが話題になった。死を間近にした律が、ぶっきらぼうな優しさで彼女を力づけた場面だ。

 人は、誰かのために祈ることで自分のほうが救われるということがある。生きるためにただ食べるというだけでなく、生きる力を得るために食事をするということを私たちは疎かにしているのかもしれない。

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