“カッコよくない”竹野内豊と“美声”の麻生久美子 NHKドラマ『この声をきみに』の優しさ

“カッコよくない”竹野内豊の魅力

「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮かべて出掛けませう」
(「中原中也 日本詩人全集22」新潮社,p77)

 本編とは関係ないが、自分の心の中の埋めようのない「ぽっかり」とした空間に囚われる、竹野内豊演じる主人公・穂波孝の、球体だらけの心象風景を見ていたら、思わず中原中也の『湖上』を口ずさみたくなった。このドラマは、きっと誰もが持つ心の「ぽっかり」をやわらかく包んでくれることだろう。

 本日放送開始のNHKドラマ10『この声をきみに』はそんな優しいドラマだ。竹野内豊演じる偏屈な数学者が、麻生久美子演じる街の朗読教室の先生や個性的な生徒たちと出会い、変わっていく姿を描くロマンティックコメディである。脚本は、朝の連続テレビ小説『あさが来た』の大森美香、音楽はドラマ『カルテット』のfox capture planが手がけている。金曜日の夜の大人たちの疲れた気持ちを、ファンタジックでロマンティックな世界観で癒してくれるに違いない。

 今回は『この声をきみに』の2つの魅力をご紹介したい。

穂波孝(竹野内豊)

 1つ目の魅力は、なんといってもカッコよくない竹野内豊である。仕事も家庭もうまくいかず、人に自分の思いを伝えることが苦手な、数学にしか興味がない、変わり者で偏屈な大学の准教授。相手に自分の思いを届けようとすることを放棄し、相手の気持ちをわかろうとしない。彼はいつも「僕の心の中にはいつも埋めようのないぽっかりとした空間がある。そのせいでこの世には完璧な幸せはないのだ」と思っている。愛想をつかした妻・奈緒(ミムラ)は、慰謝料も養育費もいらないと、彼と家族を完全に切り離そうとしている。でも、孝はなぜ妻が離婚したいのかさえわからず、当惑してばかりである。いつも飄々としているイメージの竹野内豊に似つかわしくない、情けなさすぎる彼の何がそんなに魅力的なのか。

 彼は無邪気なのだ。日常で遭遇する素数に興奮したり、歩道橋の曲線を眺めて「いい交差だ」と目を輝かせたり、子供のように純粋に物事を見つめている。それがものすごく素敵だ。理想と現実の狭間でため息をつき、日々苦労の耐えない堅物数学者が、それでも心のどこかで自分の心の「ぽっかり」が満たされる瞬間を探し続けている。そんな彼が朗読と出会う時、何が起こるのだろう。その姿にとてもワクワクする。まるで、この物語自体が詩のようだとも言えるのである。

 そして、2つ目は、麻生久美子をはじめ美声揃いのキャストによって朗読される珠玉の詩の数々である。1話だけでも谷川俊太郎の『生きる』、寺山修司の『恋のわらべ唄』と、その詩を知らなくても、聴くだけで心癒され、胸に迫ってくる詩ばかりだ。ドラマの中で、みんなで集まって1つの詩を読む“群読”のシーンがある。その群読がとにかく素晴らしい。キャストの美声、詩の美しさはもちろん、彼らの空想を通して空間を飛び越え、詩のイメージが映像として示される。詩がまさに息づいて躍動する瞬間である。

 孝が出会う、朗読教室の先生・江崎京子を演じる麻生久美子の朗読は、まるで大地のようだ。彼女の声は、美しいだけでなく、しっかりと根を張り、フワフワと飛んでいきそうな壮大な世界観を絶対的な安定感を持って支えている。また、優しく登場人物たちを見守っている、朗読教室の主宰・佐久良を演じる柴田恭兵が、いつもながらエレガントでキュートな魅力を放っているのも見逃せない。

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