『過保護のカホコ』高畑充希は異色のスーパーヒロインだ 愛と毒に溢れた作品の魅力を考察

高畑充希は異色のスーパーヒロインだ

 『過保護のカホコ』の世界は、純粋さと毒が同居した不思議な世界だ。超純粋培養で育てられた真っ白な加穂子(高畑充希)がすくすく成長していく物語であり、純粋な恋愛を描いた物語であるのに関わらず、彼女を取り巻く登場人物たちは、なかなかの曲者揃いで、様々な問題を抱えている。そして彼らは、時折動画メッセージアプリ「SNOW」もどきの動物キャラを当てはめられて、強烈に風刺されている。この世界は愛に溢れているのに、毒も溢れているから、余計に癖になる。

 それは、脚本を『家政婦のミタ』、『純と愛』、『はじめまして、愛しています。』の遊川和彦が手がけているのが大きいだろう。自身を「初側の人間」としてひねくれていると公言している遊川のことだ。視聴者である私もどこか、ピュアすぎる加穂子の成長物語を、彼女が一心に恋をしている麦野くんにちょっとキュンとしながらも、どこかで勘繰ったり、ひねくれたりしながら見てしまっている。

 この物語の軸は、初回で、時任三郎演じる加穂子の父親が語りとして「1人の青年と出会ったことで私たちが驚くような人間に成長していく」と言うように、加穂子と麦野(竹内涼真)の王道ボーイ・ミーツ・ガールの構造からなっている。それが、このドラマに視聴者の多くが感情移入してしまう理由だろう。加穂子の初恋は、不器用で真っ直ぐにもほどがあるが、恐らくだれしもが経験したことがある、どこか懐かしいものではないだろうか。自分の価値観を変える人との出会い、「ママに言えないこと」の共有、麦野を巡る母親(黒木瞳)との口論、必要とされること、「また明日」の幸せ、お弁当作りと麦野の出生の秘密。そして、彼女が決め台詞のように毎度一生懸命口にする「私、こんなのはじめて!」。その「はじめて」の甘酸っぱい繰り返しは、視聴者の多くの記憶を呼び覚ますに違いない。

 しかし、ひねくれた言い方をすればこうとも言える。「私、こんなのはじめて!」という台詞は、男性の好きなフレーズの上位とも言われる。恋愛上級者の女の子が男の子を落とす時に使う代名詞「こんなのはじめて!」をこんなにも真剣に心から、なんのてらいもなく使うヒロインは今まであまりいなかったのではないだろうか。

 だからこうとも言えるのだ。彼女は最強の「愛される」という特技を天然に身につけたヒロインなのだと。それは、麦野に対する彼女の反応だけでなく、誰に対してもそうだ。加穂子が親戚や家族に溺愛されている理由は、天性の素直で明るい性格と笑顔だけでなく、人の痛みに気づける才覚だろう。彼女は誰よりも早く、自分の大切な人たちの異変に気づく。従兄弟である糸(久保田紗友)のケガのこと、環(中島ひろ子)と夫・衛(佐藤二朗)のおしどり夫婦の異変など、彼女はいつも目の前にいる人の表情の変化に気づき、「どうしたの?」と問いかける。そして今のところ空回りしてばかりではあるが、彼女はきっとこれから、自身の成長とともに、多くの人たちを変えていくことになるのだろう。

 一方、加穂子が一心に恋をする麦野初は、加穂子の「こんなのはじめて」と同じく、「初」という名前を持った、正反対の生い立ちの青年だ。彼は、加穂子を変えた人間であり、また、加穂子によって変えられていく最初の人物である。物心つく前に父親と死に別れ、7歳の時に母親に捨てられた麦野は、愛を知らない。母親が与えてくれた赤い絵の具と「絵が上手だから、大きくなったら画家になったら」という言葉だけを頼りに、執着するように絵に打ち込んできた。前回放送の5話で、麦野が勢いで川に投げて捨ててしまった、母親がくれた赤い絵の具を必死に探す加穂子を抱きかかえ、「もういいから」と言うのは、加穂子が彼にとって、求めていた母親の愛の代わりになる存在になったからだろう。

 彼自身も気づいていなかった、彼が描く肖像画の魅力を誰よりも理解し絶賛する加穂子、彼女が作ったおにぎり、赤い絵の具を見つける代わりに抱きあげた加穂子。その全ては、母親の愛の象徴であり、幻想のような「赤い絵の具」をどうしても捨てることができなかった麦野にとって、その幻想を捨て、加穂子という「本当に愛してくれる人」を得たことを示している。

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