BOMIの『ありがとう、トニ・エルドマン』評:すべてを語りすぎない、観客との的確な距離感

BOMIの『トニ・エルドマン』評

 BOMIが新作映画を語る連載「えいがのじかん」。第7回となる今回は、第89回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた『ありがとう、トニ・エルドマン』をピックアップ。(編集部)

 『ありがとう、トニ・エルドマン』はめちゃくちゃ好きな映画でした。父と娘の関係を描いた作品の中では、最近観た中で1番よかったです。悪ふざけが大好きな父親ヴィンフリートが、性格が正反対で関係があまりうまくいっていない娘イネスの前に、トニ・エルドマンという別人になって現れて……というお話です。変だけどグッとくるいい作品なのですが、この作品の良さを説明するのはなかなか難しい。とにかく観て!という感じです(笑)。

 まず冒頭のシーンから引き込まれてしまいます。主人公のヴィンフリートの元に荷物を届けに来た配達員の人がやってくるのですが、ヴィンフリートは変装して“弟です”と言って、配達員を困らせてしまいます。最初は「え?どういうこと?」という感じで意味がわからなくて、理解するまでにちょっと時間がかかってしまったのですが、この冒頭の衝撃的なシーンに続いて、そのあとも割とワケがわからないことが続きます。ガイコツみたいなメイクのまま家族の集まりに出たりとか。最初は、余生が短くて娘と最後の時間を過ごすという、この人が死ぬ話なのかなと思ったりもしたのですが、全然そんな話ではなくて。冒頭から展開がまったく読めませんでした。

 そこからは怒涛の展開に引き込まれてしまって、164分の上映時間もあっという間。長さはまったく感じませんでした。要所要所に笑えるシーンがあるんです。娘のイネスに至ってはもうシリアスコメディみたいな感じ。自分の誕生日パーティで準備をしていたイネスが、ドレスのチャックがなかなか閉まらないことをきっかけに、突然「今日はヌードパーティにする!」と言い出して、全裸で上司や友達の対応をし始めるのですが、あまりに唐突すぎてビックリします(笑)。最近見たい映画の中でもピカイチの痛快なシーンでした。真摯さというか、真面目さを突き詰めると、ユーモアが生まれるというか。とにかくものすごいシーンだった。そこに、ヴィンフリートがクケリという毛むくじゃらの精霊になって現れます。このシーンはイネスとヴィンフリートの距離感というか、不器用さがすごく伝わるシーンでグッときました。裸でパーティを開いている娘を見た父はどんな反応をしているのか。ヴィンフリートはクケリの大きな着ぐるみを着ているので、その反応が一切わかりません。こんな風にすべてを語りすぎない、観客との的確な距離感があるのがまた素晴らしいです。

 もし自分がイネスの立場だったら……。父親が別人になりすましていきなり職場に現れたりするって、よくよく考えたら普通にウザいし嫌ですよね(笑)。私だったらガン無視するかも(笑)。普通に困ります。ただ、娘も娘でちょっと変わっているんですよね。“トニ・エルドマン”を普通に別人として受け入れたり、パーティで一緒にドラッグやることを勧めたり、すごく肝が座っています。

 でも、お父さんの気持ちがわからないでもない。大人になってから父親と2人きりで会うとなると、やっぱり妙な気まずさみたいなものがありますから。言葉ではうまく説明しづらいのですが、なんとなく他人のような気もしてしまうというか。息子と父の関係だったらまたちょっと違うんでしょうけど、大人になった娘と父の距離感のリアリティにすごく溢れていたと思います。自分の家族だけど自分の家族じゃない、自分の家だけど自分の家じゃないというような居心地の悪さが非常に丁寧に描かれていました。それでいて、今までに観たことがないようなオリジナリティに溢れた作品になっているんですよね。

 普段、映画を観てセリフが頭に残ることってそうよくあることではないのですが、この作品はどうでもいいような細かいセリフや仕草がすごく印象に残るんです。トニ・エルドマンがリムジンの運転手に「延長料金はいいです」って言われたりとか、さっきのヌードパーティのシーンで、イネスがドレスのチャックをなかなか閉められず、ハサミを使って閉めようとする場面とか。全体的に予想の斜め上をいく展開だからそう感じるのでしょうか。結末を知っていても、何度も楽しめる作品だと思います。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる