大野智主演『忍びの国』はなぜ“信念なき忍者たち”を描いた? 中村義洋監督の狙いを読む

『忍びの国』なぜ信念なき忍者たち描いた?

 彼らの周囲にも葛藤する者の輪は広がっている。“武士チーム”の最も高位に君臨する織田信雄(知念侑李)だって、偉大な父を意識しすぎるあまり、その幼さや浅はかさがあらわとなり、次第に家臣たちの信頼を失いゆく。が、その“身の丈に合わない自分”を演じ続ける苦しさを吐露することで急激にその求心力を回復することとなる。彼もまたこの伊賀攻めを通じて大幅な“変わり身”を遂げていく人物。無門によって序盤に殺されていてもおかしくなかった彼だが、こうして家臣たちのもとで変わりゆくからこそ、父・信長とは真逆の、本作において描くに値する重要人物たりえているのだ。

 さらに、のっぴきならない具合に本作を面白く彩るのが、タヌキ親父たちの存在である。立川談春、でんでん、きたろうといった当代随一のタヌキ俳優たちが好演する十二家評定衆は、その表情や所作から一向に真意が汲み取れず、観客の読みも飄々と交わされ続ける。果たして彼らは変わり身を遂げているのか、それともそのフリをするだけで、自分たちは一歩も動かず、中身は何ら変わらぬタヌキそのものなのかを我々はしかと見届けなければならないだろう。

 中村義洋監督は、人々が変わり身を駆使しながら死に物狂いで生きる様を、そうでなければ生き残っていけない当時の世情を、ユーモアとアクションをたっぷりと交えながら、ノリ良くテンポよく次々と繰り出してくる。中村作品にハズレなし。エンタメ路線のど真ん中を堂々とした采配ぶりで攻略していく様はさすがだ。

 が、中村作品には気が抜けないところもある。信念を持たない忍者たちが、その場の状況や空気に合わせて態度を変える様は、時に非人間的な、魑魅魍魎(ゾンビ)のように思える節さえあるものの、彼らの生きざまがどこか現代人にもDNA的に受け継がれている部分があるらしいことを、中村監督は思いもよらないワンシーンで示唆しながら観客の急所を“ひと刺し”してくるのである。その刹那、胸の中にザワザワした思いを抱えてしまう人も多いはずだ。

 あるべき自分の姿をめぐって揺れて、慟哭し、また揺れまくる。この本格的な時代劇でうごめく登場人物たちは、数々の中村監督の現代劇で描かれるキャラクターたちとさほど変わりはないのかもしれない。そしていつしか無門というキャラクターも、一つの思いを胸に刻んでこのスクリーンから旅立っていく。それは変わり身の終わりを意味するのか、それとも新たな変わり身の始まりだろうか。答えはない。代わりに響く山崎努の語りが、雲の切れ間から差し込む光のように一瞬だけ慈愛を伴って感じられた。

■牛津厚信
映画ライター。明治大学政治経済学部を卒業後、某映画放送専門局の勤務を経てフリーランスに転身。現在、「映画.com」、「EYESCREAM」、「パーフェクトムービーガイド」など、さまざまな媒体で映画レビュー執筆やインタビュー記事を手掛ける。また、劇場用パンフレットへの寄稿も行っている。

■公開情報
『忍びの国』
全国東宝系にて公開中
出演:大野智、石原さとみ、鈴木亮平、知念侑李、マキタスポーツ、平祐奈、満島真之介、でんでん、きたろう、立川談、國村隼、伊勢谷友介
原作:和田竜『忍びの国』(新潮文庫刊)
監督:中村義洋
脚本:和田竜
製作:映画『忍びの国』製作委員会
(c)2017 映画『忍びの国』製作委員会
公式サイト:http://www.shinobinokuni.jp/

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