『光をくれた人』は尊さに満ちた作品だーーデレク・シアンフランス監督、大舞台での演出を読む

有機的で親密な愛の物語『光をくれた人』

光を得ること。光を与えること。

 原作モノというだけあり、そのテーマ性にも文学的な深みがにじむ。例えば、本作の舞台の一つとなるヤヌス島。ヤヌスとは「終わり」と「始まり」という二つの顔を併せ持つローマの神の名前だという(そう考えると『ブルーバレンタイン』もまさにヤヌス的な作品だ)。そして二つの海がぶつかるその孤島で、主人公たちの心もまた二つの側面に引き裂かれる。

 トムはもともと戦場であまりの悲劇を目撃して心の傷を抱えており、またイザベルも兄たちが戦士したことに心を痛めている。しかし、この映画のタイトルにも、原題にも、そして邦訳本のタイトルにも「光=light」という言葉が含まれているように、この物語の中で登場人物たちはそれぞれが、光をやりとりするかのように生を紡ぐ様子がうかがえる。そうしなければ生きてはいけない、とでもいうように、その表情は一途だ。

 そもそも灯台守りという仕事は真っ暗闇の海を照らし、人々に光をもたらす職業である。兄たちを失ったイザベルもまたトムに生きる喜びを与えることで光を注ぐ。二人はお腹の中の生命を亡くすという悲劇を体験するが、それでも海の向こうから小舟に乗って届いた光に喜びを得る。そのまま胸の中に光を抱き締め続けることもできたかもしれない。世界がヤヌス島のみで成り立っているのであればそれは可能だったろう。しかし、世界は密接につながっている。誰かの喜びは誰かの悲しみを意味することだってある。これは当時も現代でもまったく同じことだ。

 久方ぶりの本土でトムは真相を知る。その瞬間、天啓を受けたかのような曲が響き渡る。自分たちは知らず知らずのうちに他人の光を奪っていた。かつて戦場で多くの仲間の命を失い、お腹の中の子供を失い、光を失うことの途方もない悲しみを知っているからこそ、トムの中でその行為が耐えられないものとなって膨らんでいく。彼の魂は二つに引き裂かれている。いやむしろ、そうやって様々な表情や思いに引き裂かれる姿こそ本来の人間の真っ正直な姿なのかもしれない。

 中盤から登場するレイチェル・ワイズ演じるハナという役柄もまた、誰かにかつて尊い光を与えられ、その光を失ってしまった女性だ。彼女がやがてトムとイザベル夫婦とその赤ん坊に辿りつくのもまた運命。そして彼女が下す決断もまた、かつて自分へもたらされた尊い光がそうさせたものだった。彼はトムやイザベルと同様、光を得る喜び、与える喜び、そして失う悲しみを深く知る者だ。まったく違う世界に生きてきた両者が出会うのは、悲劇のように見えながらも、しかしその実、「良き魂でありたい」と願い続ける彼らが互いに成し得る、大いなる光の交信だったに違いない。

 『光をくれた人』はこうして人と人とが思いを託しあいながらタペストリーを編み上げていく。『ブルーバレンタイン』のラブストーリーと、『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』の世代を超えた物語、そのいずれのエッセンスをも踏襲しながら有機的な触れ合いや心の変容を描きだすのもシアンフランス監督らしいところ。何よりも海というダイナミックで荒々しく、時に無慈悲な舞台を借りながら、洗い流された最後に残る一握の輝かしさをそっと観客に届けてくれる。その明かりはほのかに温かく、長きに渡って消えることがない。本作はそんな尊さに満ちた作品なのだ。

■牛津厚信
映画ライター。明治大学政治経済学部を卒業後、某映画放送専門局の勤務を経てフリーランスに転身。現在、「映画.com」、「EYESCREAM」、「パーフェクトムービーガイド」など、さまざまな媒体で映画レビュー執筆やインタビュー記事を手掛ける。また、劇場用パンフレットへの寄稿も行っている。Twitter

■公開情報
『光をくれた人』
TOHOシネマズシャンテほか全国公開中
監督:デレク・シアンフランス
原作:「海を照らす光」(M・L・ステッドマン/古屋美登里訳/早川書房)
出演:マイケル・ファスベンダー、アリシア・ヴィキャンデル、レイチェル・ワイズ
配給:ファントム・フィルム
提供:ファントム・フィルム、KADOKAWA、朝日新聞社
2016/アメリカ・オーストラリア・ニュージーランド/133分/スコープサイズ/5.1ch/G
(c)2016 STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC
公式サイト:hikariwokuretahito.com

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