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山田孝之はどこまでが冗談でどこからが本気か? 『映画 山田孝之3D』の可能性

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山下敦弘
山田孝之
山田孝之のカンヌ映画祭
映画 山田孝之3D
松江哲明
河瀬直美
西森路代
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 『山田孝之のカンヌ映画祭』は3月で終了したが、6月には本作から生まれた作品『映画 山田孝之3D』が公開予定など、未だ話題が尽きない作品だ。

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 どこからどこまでが冗談なのか本気なのか、わからないことが魅力の『カンヌ映画祭』だったが、もちろんその空気を作っていたのは山田孝之にほかならない。

 しかし、この放送の中で、もっとも緊張感があり、何度見ても伝わってくるものの濃密さが格段に違っていたのは、6話と7話で河瀬直美監督が登場したときだった。

 河瀬は、1997年に『萌の朱雀』にて、第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドールを史上最年少で受賞、また2007年に第60回カンヌ国際映画祭にて『殯の森』がグランプリを受賞、2013年には、第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門の審査員に日本人として初めて就任し、2016年にも第69回カンヌ国際映画祭の短編コンペティション部門と、学生作品を対象としたシネフォンダシオン部門の審査委員長に就任するなど、日本でカンヌ映画祭を思い描くときに、もっとも結びつく人と言っても過言ではない。

 ここまでの実績があるからこそ、彼女のことを思うとき、その功績を素直に讃える気持ちになるというよりも、それは何なのだと探るような気持ちになることはある。それは、この『山田孝之のカンヌ映画祭』が、カンヌ映画祭を讃えているようでいながら、カンヌ映画祭とは何なのだというメッセージがこめられていたのと同じである。

 山田や山下敦弘監督、そして芦田愛菜は河瀬のもとへ、「アイラブカンヌ」のTシャツで訪れ、河瀬にもそのTシャツをお土産として渡すが、「一緒に着た方がいいの?」と一笑に付される(ように私には見えた)。この作品の本気かウソかわからない部分を、河瀬は一気に覆すのである。

 監督と比べては失礼だが、俳優も、そしてもし自分であっても、山田と山下が目の前に現れたら、この企画の趣旨は何だろう? と先回りして考え(これが今流行りの“忖度”かもしれない)、そこに乗って、趣旨にもっともふさわしい自分を演じてしまうのが、多くの人の反応ではないかと思う。

 しかし、河瀬にそんなものは通じない。山田の本気を見せろとばかりに、「山田君て才能あるからもっと真摯にやればカンヌの俳優賞とれる。わたしとやれば。やる?」と挑発する。山田はこのとき流れる汗をタオルで拭っていた。

 8話では、山田は実際に河瀬の短編映画に出演することになる。演じる役の情報がプロットには書いていない部分が多く、自分の過去の記憶を混ぜて役の行動を考えたと山田は語る。そこでは、自身の過去を“ねつ造”しないといけないから、すごくしんどかったと。

 山田は短編の撮影終了後、自身の過去を振り返り泣いていた。その涙は、最終話でサングラスの奥で見せたものとは違っているように見えた。演出をしている友人が、涙は出そうとしているのと、自然に出てくるものでは違うと言っていた。それ以来、その視点で役者の涙を見てしまうのだが、河瀬の短編を撮ったあとの山田の涙は、とめどない感じで、演技をしているという意思を超えたものがあるように感じた。

 ドキュメンタリーは、人の素をただ単に映したからといって面白くなるわけではない。『カンヌ映画祭』で映し出されていたような、演じ手の“素”の姿を引き出す「しんどい」作業を河瀬直美が毎回やっているのかと思うと、カンヌ映画祭とそこで認められている河瀬直美という人は、単に象徴としての権威ではなく、やっぱり本物なのだなと思わされた。

 この映像を見ていて、映画『永い言い訳』のメイキングに収められた、本木雅弘が映画の中で演じた役になりきって受けるインタビューの撮影風景を思い出した。このときも、西川美和監督は、役をなぞって答えるだけの本木を許さない。もっと本木雅弘という人の中から出てきた想像の範疇にとどまらない答えを求めて追い詰めていた。

 西川と河瀬の姿も被るが、本木と山田の姿も被る。彼らは、上手い俳優なのに、どこか俯瞰して自分を見るところがあり、それが一見コミカルというか、どこか「本気出していない」感じにみられるところがある。それはそれでチャーミングなのだが、監督はそれを覆したいと思う。しかし、覆したいと思われるということは、そこを突き破ったら、何かが出てくると思わせているということなのである。

     
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