>  > 『無限の住人』は映画による「木村拓哉論」だ

木村拓哉は木村拓哉をやめるわけにはいかないーー役者として無限の可能性を示した『無限の住人』

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 演者としての木村拓哉に、能動的なキャラクターをイメージしている人は多いかもしれない。だが、彼の演技の真骨頂は、受動態にこそある。たとえば、自分より高性能の敵と闘い、その都度を叩きのめされるポンコツのアンドロイドを演じたドラマ『安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜』におけるアクションならぬリ・アクションを表現する活劇能力は『無限の住人』でも存分に発揮されている。斬るのではなく、斬られる。やるのではなく、やられる。木村の身体能力はそのときにこそ発揮される。ヒーローとしての役どころではなく、受難者としての役どころの木村を、つぶさに見つめるならば、その深さ、豊かさに気づかされる。トラン・アン・ユン監督の映画『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』でのイエス・キリストのような青年のありようは、まさに受難者のそれだ。この青年は他人の痛みを引き受ける能力を持っている。そして、その痛みの波、痛みの濁流に、その肉体を捧げていく。木村の表現において、痛覚は重要なポイントである。木村は固有の人物の痛さを、普遍的な人間の痛さに転換する術を知っている。『無限の住人』では、肉体の傷と、精神の傷とを、それぞれ精緻に体現しながら、しかし、そこに溺れたり、立ち止まることなく、「めんどくせえ」とつぶやきながら、使命を全うしていく。痛みを、傷を引きずりながら、進んでいく。薬味のようなユーモア成分をあたりに漂わせながら。

 描写はハードだが、物語そのものはフェアリーテイルのようだ。これは、なによりも「与えられる」物語である。つまり、ひとつのギフトだ。底なしの果てしなさを生きるしかない万次は、目的を与えられる。それは彼の存在証明になる。たとえ、どんな末路が待っていようと。三池は、万次の行方を、彼なりのピュアネスで見送っている。

 それしにても、万次という名前は示唆的だ。万の次。単位で言えば、億ということになろうが、日本国の紙幣には万の先はない。思うに、万の次は、∞(無限大)ということになるのではないか。∞の贈りものが、俳優、木村拓哉のこれからの可能性を示している。

映画 『無限の住人』WEB限定特報

■相田冬二
ライター/ノベライザー。雑誌『シネマスクエア』で『相田冬二のシネマリアージュ』を、楽天エンタメナビで『Map of Smap』を連載中。『Map of Smap』は、次回1月5日更新が最終回。最新ノベライズは『追憶の森』(PARCO出版)。

■公開情報
『無限の住人』
2017年4月29日(土)公開
監督:三池崇史
原作:沙村広明
脚本:大石哲也
出演:木村拓哉、杉咲花、福士蒼汰、市原隼人、戸田恵梨香、北村一輝、栗山千明
満島真之介、金子賢、山本陽子、市川海老蔵、田中泯、山崎努
配給:ワーナー・ブラザース
(c)沙村広明/講談社(c)2017映画「無限の住人」製作委員会
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/mugen/

      

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