松江哲明の『狂い咲きサンダーロード』評:画質とともに志もクリアに見えたデジタル・リマスター

松江哲明の『狂い咲きサンダーロード』評

『狂い咲きサンダーロード』との出会い

 『狂い咲きサンダーロード』(80年)は、石井聰亙監督(現:石井岳龍監督)が当時22歳、日本大学藝術学部映画学科在学中に撮った伝説的な作品です。この度、紛失されていたオリジナル・ネガが発見されたことから、クラウドファンディングによる公募でデジタル・リマスターでの完全復活プロジェクトが行われ、Blu-ray化と再上演が決まったわけですが、もしまだ観ていない読者の方がいたら、この機会にとにもかくにも観てください。

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 さて、本作についてはすでに多くの方が熱烈に語り尽くしているので、僕の個人的な出会いから。僕がまだ高校生だった92年頃、WOWOWで「J・MOVIE・WARS」というシリーズが始まりました。毎月一人の気鋭の日本人監督が10分ほどの短編を4本、計約40分弱の映画を作っていくもので、当時WOWOWの社員だった仙頭武則さんがプロデュースした企画です。WOWOWは映画をノーカット放送するから、たとえば2時間10分の作品のために2時間30分の枠を取ったりしていて、中途半端な空き時間があって。その時間を活用して放送されたのが「J・MOVIE・WARS」で、第一回目が石井監督でした。このシリーズで放送された崔洋一監督の『月はどっちに出ている』(93年)は、放送後に長編映画化しましたし、青山真治監督も『Helpless』(96年)で劇場映画デビューを果たすなど、その後に日本映画界で活躍する監督を輩出したシリーズでもあったんです。

 ちょうど、石井監督が作品を発表していない時期に放送されたもので、『シャッフル』(81年)に近い作風のものとか、『エンジェル・ダスト』(94年)の基になったような作品とか、監督自身の過去作とこれからの作品を感じさせる実験的な内容だったのを覚えています。僕は当時、監督のことを知らなかったので、面白いなぁと思って観ていたら、まとめて放送する回に監督のフィルモグラフィが紹介されて。その中で一瞬、『狂い咲きサンダーロード』が流れたんです。山田辰夫さんが暴走族に呼び出されて「うぉー!」って殴り掛かってるシーンで、観た瞬間に「なんだこの映画は?」って気になって、すぐにレンタルビデオ屋に借りに行きました。それで、『狂い咲きサンダーロード』『爆裂都市 BURST CITY』(82年)『逆噴射家族』(84年)と3本まとめて借りて、3倍ダビングのテープに録って。だからめちゃくちゃ画質が悪いんですけれど、それが僕にとっての『狂い咲きサンダーロード』でしたね(笑)。

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 高校生の頃の僕は、とにかくいろんな映画をたくさん観ようとしていた時期で、テレビでよく放送していた70〜80年代の映画が入口でした。で、アメリカでマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』(76年)があって、オーストラリアでは『マッドマックス』(79年)があった頃、日本には『狂い咲きサンダーロード』があったんだなって思いました。社会に対してなにかを抱えている個人がぶつかっていく映画の、日本代表みたいなイメージですね。10代後半だったから、これらの作品にはすごく共感するところがあって、学校では教えてくれないことに対して答えを与えてくれる、数少ない作品でした。他人事じゃないというか、人生のある時期に誰しもが必ず経験するモヤモヤとした気持ちに、グサッと刺さるんですよね。だからこそ、ずっと愛されている作品なのでしょう。

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