渡邉大輔の『溺れるナイフ』評:情動的な映像演出の“新しさ”と、昭和回帰的な“古さ”

渡邉大輔の『溺れるナイフ』評

「新しさ」と「古さ」の両面性が意味するもの

 このように、『溺れるナイフ』は――最近の邦画と同様――今日の映像を取り巻く環境と巧みに連動する「新しい」要素をもつと同時に、きわめて「古風」=「昭和的」な映画でもあるといえるでしょう。とはいえ、こうした「昭和的」かつ「20世紀的」な世界観や価値意識は、やはり最近の日本映画が描く世界全般に認められるものでもあります。これもたとえば、『溺れるナイフ』にも出演している上白石萌音がヒロイン役で出演している大ヒット映画『君の名は。』でも、前者の「東京‐和歌山」同様、「東京‐岐阜」という、いかにも昭和的な、今日の「ファスト風土化」(郊外化)以前の、都市と田舎の二項対立的なイメージがことさらに強調されています。『溺れるナイフ』でいえば、その感覚は物語の後半で大友勝利(重岡大毅)がカラオケで熱唱する吉幾三の「おら東京さ行くだ」に象徴的に表れているといえるでしょう。

 『溺れるナイフ』に表れる「新しさ」と「古さ」。つまり、ソーシャル的な仕組みと馴染みのよい情動的な映像演出と、「昭和回帰的」なイメージや世界観。

 この奇妙な両面性がもつ意味については、またもっと別の場所で深く論じなければなりません。ここでは最後に、ごく簡単に跡づけておくにとどめましょう。ぼくの考えでは、この両面性はやはりいずれも、この2010年代なかばのわたしたちの社会のリアリティをうまく掬いとっていると思われます。具体的にいえば、わたしたちの社会は、文字通り、一方ではグローバル資本主義とリアルタイムウェブの広範な浸透でコミュニケーションはかつてなく身体的で情動的なものになっている。とはいえ他方で、それゆえにこそ逆説的にも、わたしたちの社会は、たとえばエマニュエル・トッドが述べるように、ふたたびどこか20世紀的=昭和的な価値観にも戻りつつある。

 今年の話題でいえば、いわゆる「Brexit」(イギリスEU離脱)にせよ、また国内の安倍政権の改憲論議にせよ、どこまでも過剰流動化する労働や資本に対して、各国はふたたび旧来の「国民国家モデル」の再興を目指しているように見えます。おそらくそのふたつの側面が端的に表れたのが、ほかならぬ先日のドナルド・トランプの次期アメリカ大統領就任が決まった大統領選でした。というのも、かたやグローバル資本の過剰流動化とポリティカル・コレクトネスの蔓延から来る「白人=マジョリティのルサンチマン」をSNSでリアルタイムに掬い取る情動的な支持拡大戦術と、かたや企業税率引き下げから移民排斥まで保守的な国民国家モデルを掲げるトランプの圧倒的かつ予想外の勝利は、まさにこの現代の新しさと古さの奇妙な結託が示されたものだったといえます。

 『溺れるナイフ』の画面から垣間見える対照的な傾向は、ぼくには、まさにこの現代社会のふたつの側面を図らずも照射するものに見えてなりません。現代映画を読み解く面白さは、こうしたところにもあるといえます。

■渡邉大輔
批評家・映画史研究者。1982年生まれ。現在、跡見学園女子大学文学部助教。映画史研究の傍ら、映画から純文学、本格ミステリ、情報社会論まで幅広く論じる。著作に『イメージの進行形』(人文書院、2012年)など。Twitter

■公開情報
『溺れるナイフ』
11月5日(土)TOHOシネマズ渋谷ほか全国ロードショー
出演:小松菜奈、菅田将暉、重岡大毅(ジャニーズWEST)、上白石萌音、志磨遼平(ドレスコーズ)
原作:ジョージ朝倉「溺れるナイフ」(講談社「別フレKC」刊)
監督 山戸結希
脚本:井土紀州、山戸結希
音楽:坂本秀一
主題歌:「コミック・ジェネレイション」ドレスコーズ(キングレコード)
製作:「溺れるナイフ」製作委員会(ギャガ/カルチュア・エンタテインメント)
助成:文化芸術振興費補助金
企画協力・制作プロダクション:松竹撮影所
制作プロダクション:アークエンタテインメント
企画・製作幹事・配給:ギャガ
(c)ジョージ朝倉/講談社 (c)2016「溺れるナイフ」製作委員会
公式サイト:gaga.ne.jp/oboreruknife/

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