松江哲明の『将軍様、あなたのために映画を撮ります』評:映画好きだった金正日の怖さとおかしみ

松江哲明の『将軍様〜』評

映画ファンは親近感を覚えてしまうかも

 本作はまず、『将軍様、あなたのために映画を撮ります』というタイトルが素晴らしい。サンプルが送られてきた瞬間、「これは早く観なくてはいけない」と思わせるインパクトがありました。そして、実際に観てみたらその予想は当たりました。僕は個人的に、映画の中で最も面白いのはドキュメンタリー作品だと信じているのですが、本作はまさにドキュメンタリーならではの魅力が詰まった作品で、本当に多くの人に観て欲しいと思います。ドキュメンタリー映画を評する際に、よく「フィクションのような現実」ってフレーズが使われますが、そもそもフィクションが現実を追いかけているわけで、優れたドキュメンタリー映画は簡単に観る者の想像を超えてきます。

 1978年に起こった韓国の国民的女優・崔銀姫(チェ・ウニ)と映画監督・申相玉(シン・サンオク)の北朝鮮拉致事件を追った作品で、この事件自体はもちろん僕も知っていました。ただ、これほど奇妙で、ある意味では人間の滑稽さが滲み出た話だとは思いませんでした。たとえば、申監督は崔銀姫が失踪してから、単身で彼女を探しに行くのですが、彼は自らの浮気が原因ですでに彼女とは離婚しているんですよね。しかも崔さんとは2人の養子を育てていたのに、 不倫相手は子どもを産んだのです。その時点で、かなり複雑な関係性の物語になっている。

 金正日は、北朝鮮の映画を発展させようと、申監督が自ら北朝鮮にやってくるように崔銀姫を拉致するのですが、本作を観る限り、そのことに対してなんら悪いことをしているという自覚がない印象で、逆に恐ろしさを感じさせます。当時の北朝鮮の映画は、体制を褒めるものばかりで、登場人物たちが涙を流す演出があるようなんですが、それに対して金正日自身が、「なぜ我が国の映画は泣いている場面ばかりなんだ、葬式でもないのに」と言っていて、すごく滑稽でした。日本の映画も、最近は泣いてばかりだなって思ったりして(笑)。

 独裁者を単純にカルカチュアライズして、「金正日はおかしな人物だ」と描くのではなく、あくまでも金正日自身は自分の狂気に気づいていないところが、この映画のぞっとさせる部分ですよね。申監督らに対して、「こっちの生活はどうですか?」「体の調子は悪くないですか?」って気遣っているんだけど、なぜ彼らが不調をきたしたのかには無頓着で、すごく不気味です。あなたが拉致したからなのに(笑)。

 一方で、北朝鮮で良い映画が生まれないことについて、真剣に思い悩んでいるところから、金正日自身の深い孤独も垣間見ることができます。金正日の孤独な独裁者としてのパーソナリティを描こうとした作品は過去にもあって、たとえばエヴァン・ゴールドバーグ監督とセス・ローゲン監督によるコメディ映画『ザ・インタビュー』などは、その描写が大問題になって上映中止に追いやられたけれど、本作ほど金正日のリアルな姿に迫るものではなかったと思います。あの映画は異国がイメージする独裁者の枠を出るものではありませんでした。故にコメディとしては面白かったですけど。金正日が熱心な映画ファンであることを通して、その孤独を浮き彫りにしていく手法は、これまでになかったアプローチでは。作中で使用されている金正日の素材は少ないけれど、それこそ映画ファンであれば、彼にある種の親近感すら覚えてしまうかもしれません。

 映画好きって、決して社交的で明るい人間ではないと思うんです。映画を観ている間は必ず孤独ですから。僕の自宅のホームシアター部屋には、周囲の棚に4000枚くらいのDVDやBlu-rayがあるんですけれど、もしかしたら金正日も同じような感じだったのかもしれないと考えて、少しぞっとしました。映画好きにとっての映画は、単なる娯楽ではなくて、作品の中に自分の伝えたいメッセージを探したりして、人生とリンクさせていくものなんです。映画史はさておき、人類史に残るような作品なんてほんの一握りで、たとえば『七人の侍』だって何百年後まで残っていくものかはわからない。だけど、その時々で自分の人生に必要な作品というのはあって、たとえば僕はものすごく落ち込んでいるときにこそ、『ゾンビ』が必要だったりするんです。その時の気分や状況で映画って見方が変わりますから。それはきっと、同時代的な感覚の中になにかを探しているということで、金正日ももしかしたらそういう風に映画を観ていたのかもしれない。彼は崔銀姫に、ソ連の映画『女狙撃手マリュートカ』を観せて、「裏切ったら殺す」というメッセージを伝えたりするんですけれど、そのコミュニケーションの仕方は、良くも悪くも映画好きならではのもので、怖いけれど少し共感してしまいました。

俯瞰した視点により、現代性を帯びたドキュメンタリー

 ロス・アダムとロバート・カンナンという、イギリス人監督が手がけているのも、本作の作風に影響を与えていると思います。彼らはそれこそ『007』シリーズの裏側を描くように、スパイ合戦の映画としてこのドキュメンタリーを撮っているんです。これがもし、日本や韓国の監督が手がけたら、申監督を主人公としたドラマティックな映画に仕上げているところでしょう。その方が正攻法で、物語としては面白いものになった可能性はあります。実際、申監督が拉致事件について著した書籍『闇からの谺』は、彼の主観で事件の詳細が語られていて、すごく興味深い内容になっている。でも、この映画は物語性を排して、インパクトのあるエピソードを淡々と並べることによって、金正日のパーソナリティを描くとともに、北朝鮮という国の一端を見せることに成功しています。この俯瞰した視点こそが、このドキュメンタリーの長所であって、現代性を帯びているところです。

 視点がベタッとしていないから、ふと共感さえさせるんですよね。たとえば金正日は、『男はつらいよ』や『ゴジラ』のファンだったと言われているけれど、本作で公開されている盗録テープを聴くと、その会話が完全に単なる映画ファンのものであることに驚かされます。申監督と「映画で見返してやりましょう!」とか、「あなたは最高の映画プロデューサーです」なんて二人できゃっきゃ言い合っている。申監督は、拉致されて映画を撮らされていたという立場だけど、映画を撮っているときは純粋に楽しんでいたはずです。だって、お金のことを気にせず自由に作品作りに専念できるんだから。

 申監督が拉致された時期って、ちょうど韓国で検閲が厳しくなって、自由に映画が作れなくなった時期なんですよね。映画監督としても脂が乗っている時期にもかかわらず。だから申監督は、ヨーロッパやアメリカなど、海外に新境地を探しに行っていた頃で、新藤兼人監督と脚本の打ち合わせをしに日本にも訪れていたそうです。そんな時期だったからこそ、申監督にとっては決して悪いことばかりではなかったはずで、だからこそたくさんの作品を撮ったのでしょう。本作では、エピソードに合わせて申監督の作品がインサート映像として流されるのですが、どの作品も画に力があって、すごく面白そうなんですよ。拉致されていて、プライベートなんてないわけだから、いつか逃げようという意思はずっとあったはずだけど、作品もちゃんと残そうという意思も感じられて、その葛藤がちゃんと見え隠れするのもドキュメンタリーならではの面白さです。これが劇映画なら、たぶん「映画を撮らされた」という側面ばかりが強調されてしまったんじゃないかな。でも映画監督として充実していたことは否定できないと思います。崔さんも作品には自信を持っていたことを告白していますし。

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