映画『怒り』は“信じること”の困難を描くーー宮崎あおいの慟哭が意味するもの

『怒り』が描く、“信じること”の困難

 映画『怒り』は、“信じること”の困難を描いた映画だ。素性の知れない相手を信じるとは、果たしてどういうことなのか。当初は、相手の問題であるかのように思われた“信”は、やがてブーメランのように自らの心の内に返ってくる。そもそも、自分は相手のことを、本当に信じたいのだろうか。“信”は状況ではなく、まずは自らの意志の問題なのだ。しかし、それは無防備に自己を他者にさらけ出すことに他ならない。登場人物たちは、自らの胸に手を当てながら逡巡する。しかし、その結論が出る前に、男たちは、ある日突然、彼/彼女らのもとを去ってゆくのだった。

 自分は、彼のことを心の底から信じたいと思っていたのか。そして何よりも、その意志を日頃から相手に伝えていたのか。彼の失踪は、彼自身が選び取った選択ではなく、決断を迷い続ける僕/私が、無意識のうちに選ばせてしまった選択なのではないか。人が心の底から嘆き悲しむとき、それは誰かに何かをされたときではなく、自分にとって何よりも大切なものを、自ら手放してしまったときなのだ。そのときもはや、“犯人探し”のサスペンスは、遠い彼方へと押しやられる。そう、“犯人探し”は、物語を駆動するスイッチに過ぎなかったのだ。それよりも、“信じること”を躊躇する、人々の心模様をリアルに描き出すこと。それがこの映画の本質的なテーマであり、最大の見どころなのだ。

 とりわけ、愛子を演じた宮崎あおいが、文字通り渾身の迫力で表現する“慟哭”。それは、その刹那に流れ出す、“真実”と名づけられた坂本龍一の楽曲ともども、いつまでも観る者の心に深く刻み込まれることだろう。

■麦倉正樹
ライター/インタビュアー/編集者。「CUT」、「ROCKIN’ON JAPAN」誌の編集を経てフリーランス。映画、音楽、その他諸々について、あちらこちらに書いてます。

■公開情報
『怒り』
9月17日(土)、全国東宝系にてロードショー
監督・脚本:李相日
原作:吉田修一「怒り」(中央公論新社刊)
出演:渡辺謙、森山未來、松山ケンイチ、綾野剛、広瀬すず、佐久本宝、ピエール瀧、三浦貴大、高畑充希、原日出子、池脇千鶴、宮崎あおい、妻夫木聡
配給:東宝
(c)2016映画「怒り」製作委員会
公式サイト:www.ikari-movie.com

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