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役者と芸人、共通するセンスとテクニックは? 女優・大塚シノブが漫才映画『エミアビ〜』を観る

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 『エミアビのはじまりとはじまり』というタイトルを聞いた時、北欧かどこかの小さな女の子が冒険でもするのか、もしくは探検家が北極圏にでも行くのかと、なんだか壮大なストーリーを勝手に想像してしまった。しかしその予想に反し、舞台は日本、それも男2人の漫才コンビの話。たった2人で構成された漫才という小さな世界。だが、その小さな世界をえぐったような表現の深さと、どんな状況も笑いに絡めてくる精神には、大きなスケールと同等の満足感がある。

 それにしても、なぜこのタイトルなのか。真相は映画を観れば明らかになるとして“エミアビ”とは、森岡龍演じる実道(じつどう)と、前野朋哉演じる海野(うんの)の漫才コンビの名前なのだ。その由来に、センスを感じた。

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 実は私は、お笑いが好きで好きでたまらないというほどのお笑い好きである。番組告知を見ては必ず録画し、面白かったものに関しては映画と同じように、繰り返し何度も観る。時々、劇場にも足を運ぶ。そんな中で、漫才やコントとは非常に難しい芸だとつくづく思う。自分でネタを見つけてストーリーや構成を考える、台本にする、セリフを覚える、演じる、俯瞰する…、簡単そうに見えて、実はいくつもの工程を重ねてやっと評価の対象に上がる。この人たちは何役も担っているのだと考えると頭が下がる。まず監督、脚本家、演者というパートをこなした上で、さらに笑いという方向に持って行くために、間まで考えなくてはならないのだ。

 コンテストなどでは演劇の舞台と同様、一発勝負だろうし緊張もあるだろう。しかし演劇であれば私も経験があるが、万一セリフに関して飛んだり噛んだりしても、多少の時間的猶予はあるし、最悪なんとか持ち直しは効く気はする。だが新喜劇など長丁場の舞台を除いて、漫才やコントの場合に与えられるのはたったの数分。その数分にすべてを懸けるのだ。セリフでも飛ぼうものなら、すべてが水の泡と化すことだってあるし、セリフを噛もうものなら、それだけで笑いのチャンスを失うことだってある。零コンマ一秒の単位で、爆笑か失笑かが決まる、まさに命懸けの勝負だ。そんな刹那に近い時間を観客と共有するためにお笑い芸人たちはきっと、笑いの裏で地道に練習を重ねているのだろう。

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 漫才やコントを観ていて、芸人の演技力の高さに舌を巻くこともある。泣きの演技より人を笑わせる演技の方が、はるかに難しいと私は思っている。やはりお笑いは特に間のセンスが大事であり、一瞬で笑いの世界へと引きずり込むほどの演技力も必要だ。上手い芸人が出てくると、そこで空気感がパッと切り替わる。映画やドラマに出演するお笑い芸人の演技力が高いのは、漫才やコントに必要な間の感覚を読み取る訓練ができている、自分を解放できている、全体を俯瞰できている、一瞬で憑依できるような集中力の高さを持っている、これらの要素が備わっているからではないだろうか。

      

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