菊地成孔の『暗殺』評:「日韓併合時代」を舞台にした、しかし政治色皆無の娯楽大作

菊地成孔の『暗殺』評

 

その前に、「八紘一宇? 日韓併合? え? 何なのそれ」という方々へ。あなた方が幸福なのか不幸なのか、残念ながら筆者には解りかねるが

 K-POPも含む、韓流文化全般を無邪気に楽しんでいる人々の多くが、上記の様な人々である事は想像に難くない。そして、「何で韓国をあんなに嫌う人々がいるんだろう。なんかどうやら、昔、日本は韓国に恨まれるようなことをしたみたいだけど」ぐらいの、牧歌も牧歌、牧場の歌の歌詞の極みのようなものを口ずさんでいる人々に、今から何千文字か使って、「北東アジアの侵略国としての日本と、東南アジアの侵略国としての日本が、太平洋戦争の敗戦国である日本と一本の線でつながっている」という解説を書くことは、多少面倒な作業ではある程度で、成功不可能なミッションではない。

 しかし、今回に限って言えば、一番確実なのは「映画館に行ったら、まずパンフを買い、9~10ページ見開きにある、韓国人作家カン・ヒボンによる、日韓併合と朝鮮半島の独立並びに、統一の失敗に関する、わずか2000文字にも至らない短文を読むこと」であろう。

 超池上彰級のこの見事なまとめを、まずさっとそれを読んでから映画を見れば、日韓関係自体に何の雑味も感じていない、最高の牧歌の歌い手にも100%完全な予備知識がインストールされる、多少面倒だが先ずパンフを買って読んでから観賞すれば良いのである。特別、日韓関係の歴史に強いわけでもない筆者も、これには感心した。というよりも、逆説的に、「日本で本作を公開する限り、パンフにこの文章が載ることがマスト」であったことは間違いない。

さて、それを読んだ上でも、再び、本作では、驚くべきことに

 雑味どころか、やりようによっては激痛の原因にもなりうる政治的背景を、「リアルな政治性を排したアクションエンターテインメントである」という属性の更に一段階前から、完全な無臭化に成功しているかのようである。

 クライマックス、激烈な銃撃戦と、後述するサム・ペキンパー&ジョン・ウー・リスぺクタブルな復讐劇の舞台は、何と(もちろん実在した)三越百貨店京城店であるというのに。劇中、最も憎悪を煽る、最悪役こそ韓国人であるが、次点にいる通常悪役が、朝鮮総督府司令官、川口守の息子、川口大尉だというのに。

 「日帝時代」を描くのに、リアルな政治性を排していること自体が驚くべきことだが、やはりここでは「(高度に計算された)アクション」の力、そして何らかの時代的な斬新さ(それは、単に「もう、そんな時代じゃないっすよ」といった、元も子もないような事なのかもしれないが)が、すべてに勝る。

 しかし、である。ここまで書いたとして、そしてそれが読まれたとしてさえ、果たして、日本人の誰がこれを見るだろうか? 厳密には、「見たがる」だろうか? 答えはトートロジーの域に達している、それは「韓国映画やテレビドラマのペン(ファン)」である。現在のマーケットも蛸壺も、未知の合金のように盤石で硬い。筆者の使命は、合金で出来た蛸壺を横倒しにすることである。割れることはないだろう。しかし横倒しにぐらいは出来る。

 日本は過去、韓国(だけではないが)にとても酷いことをした過去があり、水に流しても流しても流してもらえないどころか、恨まれ、謝罪を求められ続けている。アイドルは言う。音楽に国境なんて関係ない。あってもそれは、誰もが忘れ去った遠い昔のこと、日本人のペンの皆さんサランヘヨ。

 しかし本作は、敢えて、とても酷いことが上手く行っている頃を、21世紀水準の高い時代考証力で忠実に再現した上で、日本人観客全員を、韓国人主人公に無理なく移入させる。韓国初の日帝時代を描いたエンタメ作品は、我が国で公開されることによって、<二重の意味で韓国初の作品><第二の『ドラゴン怒りの鉄拳』>になる、ともいえるだろう。しかし何故そんなアクロバットが綺麗に決まったのだろうか。

監督はこう発言している

 韓国エンターテインメントのモダン化(=ハリウッド化)を爆発的に推進した『10人の泥棒たち』(12年)の監督&脚本であるチェ・ドンフンは、この作品の成功により、18億円の製作費を手にし、本作の制作に着手した。「何を一番伝えたかったか?」という、余りにもストレートな質問に対し、余りにもストレートに回答している。

「今の韓国の若者たちは1930年代だけではなく、日帝時代についてあまりよく分かっていないようです。私もそうでした。その時代の話を描きたかったので、本をたくさん読んで勉強しました。独立軍たちの写真を見ながら(中略)彼らはどのように行き、彼らの勇気は果たしてどこから来ているのだろうか?という至極純粋な質問からこの映画を始めることになりました」

 発言の後半はロマンティーク/クリエイティヴであり、重要なのは前半である。園よりも、三池よりも、庵野よりも、三谷よりも、山崎よりも10歳近く年下である(45歳)オーヴァーグラウンダーの国民的ヒットメーカー(『10人の泥棒たち』は公開当時、韓国歴代観客動員数のナンバーワンになった。因みに現在の1位は『インサイダーズ/内部者たち』(16年))は、「今の若い韓国人」と「同じように」、「日帝時代について何も知らなかった」のである。(参考:菊地成孔の『インサイダーズ/内部者たち』評:とうとう「銃が出て来ないギャング映画」が韓国から

 この赤裸々な発言は、本作の監督(&脚本)たればこそ、非常に示唆に富んでいる。本作は「もう、そんな時代(いつまでも韓国が日本を恨んでいる時代)じゃない」世代が、どれほど「そんな時代じゃない」のかを、そして、そんな世代のオーヴァーグラウンダーが、素材として「そんな時代」の始まりを描こうとした時の引き裂かれ具合を、赤裸々に見せている、と言えるだろう。

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