『シン・ゴジラ』は“コントロールルーム映画”だった? 速水健朗が庵野監督の意図を読み解く

速水健朗の『シン・ゴジラ』評

 こうして確認してきたように『シン・ゴジラ』は、“中央制御室映画”だ。とはいえ、コントロールルームに集まったで主人公が新しい事態を知ったり、観客が状況を把握したりといった場面は、さほど多くはなかったかもしれない。しかし、長谷川博己がゴジラの第三形態への変化を見て「まるで進化だ」とつぶやいたりするのは、コントロールルームのモニター越しに情報を得ていると考えるべきだろう。その辺は、映画を観る側が想像を働かせないといけない部分だ。

 ちなみに『シン・ゴジラ』には、こうした主人公回り以外にも、多くのコントロールルームが登場する。東京都庁の対策本部は、半円形にデスクが並べられ、正面に大モニターがあるタイプのコントロールルームだ。また、自衛隊では、市ヶ谷の本部、多摩川に陣を敷いた指揮所の2つも、センターモニターによって随時情報が寄せられるコントロールルームである。それぞれに違った制御室が描かれている。

 そして、物語のクライマックスの舞台、科学技術館の屋上の指揮所もまたコントロールルームだ。だがついにセンターモニターはなくなった。変わりに、ゴジラが視認できる場所が選ばれている。情報が一元化される場所としても、ここは現場に近い指揮所でありコントロールルームでもある。

 さて、主人公回りという意味合いにおいては、官邸地下、最初の巨災対本部(特に施設として見るべきものがあるわけではない)、立川の仮巨災対本部、科学技術館屋上という具合に、ゴジラ対策のオペレーションルームは、4段階に変化する。4段階のチェンジという意味では、ターゲットのゴジラの変態と同じである。ゴジラは、第4形態になってまさに手が付けられない完全生物になるのだが、逆にコントロールルームは、どんどんショボくなっていく。それでもゴジラに立ち向かわないといけない。『シン・ゴジラ』は、そんな映画である。「そんな」がどんなかというと、最初から最後まで、とことんコントロールルームと向き合った映画であるということだ。

 そもそも総監督の庵野秀明は、コントロールルームに意識的なクリエイターであるのは間違いない。『エヴァンゲリオン』という作品は、まさにコントロールルームを描いたアニメだった。青葉シゲル、伊吹マヤといったキャラは、そのオペレーターだった。そこを撤退する場面こそが、エヴァのクライマックスだったはずだ。逆に、あれ以上のクライマックスが描けなかったからこそ、エヴァは終わらせ方に失敗したのだ。

 『シン・ゴジラ』の物語のラストについて。まだゴジラとの攻防の余韻も残る科学技術館屋上での主人公とカヨコ・パタースンの会話で物語は締められる。凍結した標的、そして破壊し尽くされた都市がこの場所の前に広がる。ここは、ゴジラとの共存という意味が加わった未来への復興のためのコントロールルーム。そう見るべきだろう。

■速水健朗
1973年生まれ。雑誌編集者を経てライターに。著書『タイアップの歌謡史』『1995年』『フード左翼とフード右翼』『東京β』『東京どこに住む?』ほか。ラジオ番組『速水健朗のクロノス・フライデー』(TFM)などのパーソナリティーのほか、テレビのコメンテーターとしても活躍中。

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■公開情報
『シン・ゴジラ』
全国東宝系にて公開中
出演:長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ
脚本・総監督:庵野秀明
監督・特技監督:樋口真嗣
准監督・特技統括:尾上克郎
音楽:鷺巣詩郎
(c)2016 TOHO CO.,LTD.
公式サイト:http://www.shin-godzilla.jp/

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