『貞子vs伽椰子』が傑作ホラーとなった理由ーーそれぞれの“呪いシステム”をどう活かしたか?

『貞子vs伽椰子』呪いシステムはどう機能した?

 1998年に封切られ、社会現象を巻き起こしたJホラーの記念碑的シリーズ『リング』。オリジナルビデオで発売され、2003年の劇場版公開と同時に大ブレイクとなった『呪怨』シリーズ。どちらも第1作目の監督である中田秀夫と清水崇の手によってハリウッドでリメイクもされ、名実ともに日本を代表する二大ホラー映画となった両者が、ついに世界観を共有してひとつの映画になったのが『貞子vs伽椰子』なのだ。

 エイプリルフールのネタであった夢のコラボレーションが、『呪怨 –ザ・ファイナル–』のエンドロール後の特報で本当に実現すると知り、歓喜したものだ。しかも監督を務めるのが白石晃士となれば、もう何も不安要素がない。ただどうしても気になってしまうのが、それぞれの世界観をどうやって繋げるかということで、それは「vsもの」の大きな課題となるわけだ。(参考:「白石晃士監督『貞子vs伽椰子』は、“対決モノの壁”をどう乗り越える?」

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 この疑問は映画を観始めるとすぐに解消する。『リング』と『呪怨』が、きちんと分けられて物語が進み、半ば強引な方法ではあるが、その二つのストーリーのクライマックスを重ね合わす。その荒技によって「vs」の意味を明確化し、さらにお祭り感を高めてきたのだ。もはや、「恐怖」の映画ではなく、日本映画界のここ20年の最大のムーブメントを集約させた「娯楽」の極致であると言っても過言ではない。両方のシリーズをつなげるための幾つかの改変と、オリジナルから変わらず続く御家芸が絶妙に絡んだからこそ、これほど強烈な作品になったのである。

 それぞれ、オリジナル版(貞子は『リング』〜『リング0バースデイ』、伽椰子は『学校の階段G』〜『劇場版・呪怨2』)と、新版(『貞子3D』2作と、落合正幸版『呪怨』の2作)、海外版とあるが、ここでは海外版は除外して、オリジナル版と新版を対象として今回の作品と見比べてみたい。(『呪怨』の番外編2作もちょっと複雑になるので除外している)

 『リング』シリーズの基本は、「呪いのビデオ」を見たものは1週間以内に死ぬ、というものであった。1週間経つと貞子がブラウン管の中から、うにょっと出てきて、それに驚いて大きく口を開けた状態で死んでいるというインパクトがオリジナルの醍醐味であった。今回は呪いの期限が2日間に短縮されている。これはおそらく、伽椰子&俊雄くんの即時的な呪い方にできるだけ合わせた結果なのだろう。基本的に貞子はホームグラウンドを持っていないため、常にビジターの試合を行わなければならないわけで、ホームのルールに従わざるを得なかったのだろう。

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 そして貞子の呪いを受けたものの死に様は、新版と同様に“自殺を誘発させられる”ものである。だが、作品の冒頭で甲本雅裕演じる都市伝説に詳しい大学教授が語る呪いの内容は、新版で描かれたような現代的かつポータブル性の高い呪いを全否定し、あくまでもオリジナル版のアナログ性に回帰したものであった。基本はVHSであり、現代人の多くが懐かしむその骨董品の不気味さを放ったのだ。もちろん、DVDにリッピングしたり、ネット配信させたりという現代的なアプローチもきちんと行う。さらに、ビデオを見た人に電話を掛けてくれる画期的なサービスも始めたようで、自分が呪われたことが明確にわかるというわけだ。

 貞子はホームグラウンドを持っていないと言ってしまったが、彼女にもビデオの中と井戸のふたつだけは自由が利く。思い返してみれば、オリジナル版の呪いのビデオはかなり異質な映像のコラージュで、それだけでもかなり怖いものがあったが、今回はそうではない。廃墟の様な場所で大きなラップ音と共に彼女が姿を見せるので、画面の奥から徐々に近付いてくるという動きは健在だ。それでも肝心の井戸はビデオ中には登場しない。正直、井戸の持つ怖さが新版によって何だか弱まってしまったので、切り札として出すに留まったのだろうか。

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