小野島大の『ランバート・アンド・スタンプ』評:ザ・フーの夢、名物マネージャーたちの夢

ザ・フー、名物マネージャーの功績

 ザ・フー初期の名物マネージャーとして知られるクリス・スタンプとキット・ランバートを巡るドキュメンタリーである。ミュージシャンやバンドを主人公とした映像作は、近年になって秀逸な作品が次々と登場しているが、裏方、それもマネージャーにスポットライトを当てた作品は珍しい。同じポップ・ミュージックであっても量産型のヒット・ソングと違い、ロックのようにアーティストの自我や自発性や内面性を重視するタイプの音楽は、必然的にアーティストの言動や心理のみが注目されることが多いからだ。だが『ランバート・アンド・スタンプ』は、この2人のマネージャーがザ・フーの活動に於いて果たした役割がいかに大きかったか、『トミー』などの名作群の制作にあたって彼らのアドバイスがいかに影響を与えたかを、とことん描き尽くしている。クリス・スタンプ、ピート・タウンゼンド、ロジャー・ダルトリーなど関係者が登場し証言する。

20160415-LAMBERTandSTAMP-sub2.png

 

 アーティストの思い描いたヴィジョンを実現に向けてサポートするのもマネージャーの役割。一方で、自らアーティストの活動のヴィジョンや指針を考え、アーティストの尻を叩いて実現させるプロデューサー・タイプのマネージャーもいる。実際に作品を作り演奏するのはアーティストであっても、そのヒントやきっかけとなる重要なアドバイスを与えるのはマネージャーだったりするのだ。ランバートとスタンプは、どちらかといえば後者のタイプだったのかもしれない。それというのも、2人は共に映画業界の出身で、英国のポップ・グループをスターダムにのし上げ、自らその過程をフィルムに収めて映画作品に仕上げて、再び映画業界に殴り込もうという野望を持っていたからだ。そこで目をつけたのが当時まだ無名だったザ・フー(当時はザ・ハイ・ナンバーズ)だったというわけである。

20160415-LAMBERTandSTAMP-sub4.png

 

 だからザ・フーは同時代のバンドと比べても、際だって残されている映像が多い。この映画でもそうした貴重映像が惜しげもなく使われている。同時代のバンドの映像はほとんどがTV出演時のものだが、ザ・フーはライヴやレコーディング風景、オフショットなども多く、またかなり初期の段階でプロモーション・フィルムを作ったことも知られている。映画に造詣の深い2人がマネージャーだったからと考えるのが自然だろう。もちろんザ・フーを主役にした映画のための素材作りという面もあったはず。

 ランバートとスタンプはザ・フーと契約するさい1人週給20ポンドという破格の条件を提示したという。これは2人が映画業界出身で音楽業界には無知だったことがあるかもしれない。そのためにスタンプは自分のアルバイト(?)の給料を注ぎ込んだとか、ランバートは著名なクラシック指揮者を父に持つ上流階級の出身で、そうした破格の給料を払う金銭的余裕があったとか、そういうエピソードも映画では語られている。

20160415-LAMBERTandSTAMP-sub5.png

 

 メンバー間の個性が強すぎて対立が絶えず、その調整で苦労した話。そして何より、初期プロデューサーのシェル・タルミーと決別して、もっとも初期のミュージシャン主導のインディ・レーベルである〈Track Record〉を設立し、ザ・フーのリリースのほかジミ・ヘンドリックスなどを発掘したのは、ランバート&クリスの大きな功績だろう。

 クリス・スタンプはバンドのマネージメント全体を統括し、家庭環境もあり音楽に造詣が深かったキット・ランバートは、ソングライターであるピート・タウンゼンドの音楽的アドバイザーとしてさまざまなヒントを与えていたようで、ピートもその影響を認めている。『ア・クイック・ワン』『トミー』など、一連のロック・オペラ作品もランバートのクラシックの素養なくしては実現しなかっただろう。ザ・フーが数ある小粒なロック・グループから、ビートルズやローリング・ストーンズと並ぶトップバンドとなるきっかけとなった『トミー』を巡るエピソードは、この映画でも数多く語られるが、この畢生の大作を巡ってピートとランバートが対立し、最終的に決別に繋がってしまうとはなんとも皮肉だ。映画はそこを境に暗転し、ランバートのドラッグ渦などさまざまな問題が噴出し、結局2人は74年に解雇されてしまう(この時のピートの心境はアルバム『バイ・ナンバーズ』に描かれている)。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる