“ゆとり世代”という言葉は当事者をどう苦しめている? 『ゆとりですがなにか』第二話が描く人間像

 宮藤は言葉に対して敏感な脚本家だ。そのため、世間で流通しているパブリックイメージに対する違和感自体をドラマの主軸に置くことが多い。例えば『木更津キャッツアイ』(TBS系)では余命半年の青年が難病を抱えた悲劇の主人公としてではなく、「ふつう」に生きようとし、『流星の絆』(TBS系)では、幼少期に両親が殺された男が「遺族が笑ったらいけないのか」と憤る姿が描かれた。本作では「ゆとり世代」という言葉が坂間たちを苦しめる呪いの言葉となっている。だからこそ、宮藤は世間で流通している類型的な言葉をそのままドラマ化するのではなく、同じ「ゆとり」でも様々な人間がいるということを描こうとしている。

 とは言え、今までのクドカンドラマなら問題を起こした山岸が、「これだから、ゆとりは」と上司に言われながらも、笑って職場に復帰する展開もあったかもしれない。しかし、山岸は坂間にパワハラされたと言って逆恨みする。弁護士立ち会いの元で坂間たちと山岸が対面する場面で、「土下座しろ」「謝れよ」と怒鳴り散らし、スマホで動画を撮影しながら「これネット、上げんぞ!」と坂間たちを脅す山岸。

 宮藤は悪役を書かない、もしくは書けない脚本家だ。男から見た得体のしれない存在として女を描くことはあったが、男女の恋愛関係以外では悪役を作ることを慎重に避けてきた節がある。本作では、山路と教育実習生の佐倉悦子(吉岡里帆)との関係でその辺りはじっくり描かれることとなるのだろうが、基本的には一見悪い奴に見えたキャラクターも実は良い奴で、結果的に登場人物がみんな何となく仲良くなって終わるという物語を繰り返し書いてきた脚本家だ。

 こういったスタンスは良く言うと安易な勧善懲悪に落としこまずに人間を見つめているとも言えるが、悪く言うならば、自分とは相いれない人間の中にある他者性を無自覚に拒絶して、自分の想像力の範疇に他人を押し込むことで、根底にある対立や憎悪を誤魔化しているとも言える。こういった問題は、今までは「コメディだから」ということで、踏み込まなくても許されてきたが、社会派ドラマと銘打っている以上、そこを避けることはできないだろう。

 次回予告で、坂間の上司・早川(手塚とおる)は山岸のことを「ゆとりモンスター」と言っていたが、果たして山岸は本当にモンスターなのだろうか? 彼をどう描くのかによって、本作の評価は決まるのではないかと思う。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

■番組情報
日本テレビ新日曜ドラマ『ゆとりですがなにか』
4月17日(日)22:30スタート
出演:岡田将生 松坂桃李 柳楽優弥 安藤サクラ 吉田鋼太郎
脚本:宮藤官九郎
「ゆとりですがなにか」公式サイト

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