>  > 「裁判」はエンタメとして成立する?

裁判をエンタメ映画として成立させるにはーー『砂上の法廷』が追求するリアリティとドラマ性

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 「裁判」はエンターテインメントとして成立するのだろうか。これまで多くの法廷劇が作られてきているが、映画というエンターテインメントの場に落とし込む以上は、裁判のリアリティを追求するために繰り広げられる難解な法律論についての説明と、扱われる事件の裏に潜んだドラマ性を、いかにバランス良く描いていくのかが大きな課題となる。

 まず『砂上の法廷』の中では、裁判のシステムについての詳しい説明はほとんどされていない。劇中で描かれていない点をここで簡単に補うとすれば、本作の舞台となるルイジアナ州では、重罪に対しては例外的に少年であっても成人と同じように裁かれることである。数年前に友人の父親を殺した12歳の少年が、懲役25年の判決を受けたことが大きな話題となったが、そうなると日本とは異なり、顔も名前も大々的に報じられるのである。劇中で父親を殺したマイクは16歳。日本と同様に尊属殺人の重罰規定は無いが、計画的な犯罪であるとして殺人罪の中でも最も重い第一級謀殺罪に問われるのだ。つまり、場合によっては死刑判決を受けることも有り得る。それに対して弁護士のラムゼイは故殺(計画性の無い衝動殺人)で減刑を狙うことを一度は考えるが、付き合いの深い家庭であり、マイクの将来を考えて無罪を狙うというのが本作の大きな要である。

 このような、法律論のバックグラウンドを説明することは、かえって物語を難しくしてしまう一方で、一切説明しないままでは理解しがたい部分が生じてしまう。そんな絶妙な按配を取り扱うには、作り手側には裁判に対する非常に高い理解度が要求されるのである。そう考えると、本作を手がけた女性監督コートニー・ハントは適任であったと言えよう。彼女の夫は弁護士であり、彼女自身も弁護士資格を有しているという、まさに法廷劇を作るのに最も向いているキャリアを持った映画監督である。

 しかも、その裁判を忠実に再現するために監督が取ったアプローチが驚きである。主演のキアヌ・リーブスを伴って実際の裁判を傍聴したり取材を重ねるという基本的な作業から、映画の主な舞台となる法廷の美術を築き上げるために、法廷で勤務した経験のあるスタッフを参加させたり、裁判所職員のエキストラに経験者を選んだりと徹底されている。もはや、事件こそはフィクションであっても、裁判そのものは本物と寸分違わないものに仕上げてきたのだ。

 そのような徹底したリアリティの追求と対峙させる、「ドラマ性」の部分は登場人物たちが語る嘘に委ねられている。それぞれが何らかの思惑を持って嘘をつくことによって、一人一人に固有のドラマを描き出しているのだ。さらに興味深いことに、証言台に上がった証人たちが事件について語っていく中で登場する回想シーンは、主観によって捻じ曲げられたものではなく、事実をそのまま映し出しているのだ。必然的に観客は、証人たちが嘘を付いているということが一目で判るのである。

     
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