『わたしを離さないで』を“現代日本的なドラマ”に仕上げた描写ーークローン人間の抵抗が意味したもの

 つまり、大人たちも、ただ理不尽な世界を受け入れていたわけではなく、何とか抗おうとしていたことが明かされるのだ。

 おそらく、こういった政府に抵抗する人々の描写は、10年前にだったら、もっと古くさいものに見えただろう。しかし3.11以降の脱原発デモや、大学生を中心としたグループ・SEALDsが安保法案反対を訴えたり、保育園の待機児童問題を訴える母親たちによる国会前でのデモが行われたりといった、政府の法案に異議申し立てをする手段としてのデモが当たり前のものとして定着しつつある現況を考えると、クローン人間の生存権を訴える真実の行動は現在の日本を映す鏡として機能していたといえる。

 その一方で、本作を見ていて最後まで気になったのは、ある種の居心地の悪さだ。原作同様、恭子たちクローン人間は、理不尽な運命を受け入れ、限られた生をなんとか充実したものとして過ごそうとする。その姿は確かに美しく、見ていて感動させられる。しかし、死にゆくクローン人間の姿に感動すればするほど、その感動を支えているグロテスクな世界観を緩やかに容認している自分に気づき、居心地の悪さを感じてしまう。

 そのあたり、国の法律で同じクラスの生徒たちが殺し合うことになる高見広春の小説『バトルロワイアル』以降に流行ったデスゲーム系の作品や、かつて森下佳子が担当した綾瀬はるか主演の難病ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』(TBS系)のような難病モノの構造――恋愛を盛り上げるために難病という小道具が用意されていること――に対する違和感を確信犯的に押し出していたようにみえる。

 臓器提供の道具として、クローンの子どもたちを「天使」と言って育ててきた陽光学苑の欺瞞に対して異議申し立てをしているように見えて、そんな理不尽な運命を受け入れる姿を感動的な姿として見せるグロテスクさこそが、このドラマの倒錯した面白さだ。

 死にゆく美和に対して「わたしたちは天使だから」と言って、偽りの希望を与えることしかできない恭子の姿には、本作で語られる芸術の美しさと無力さが、同時に現れている。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

■ドラマ情報
『わたしを離さないで』
毎週金曜日22時〜TBS系で放送中
出演:綾瀬はるか、三浦春馬、水川あさみ、鈴木梨央、中川翼、瑞城さくら、ほか
原作:「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ
脚本:森下佳子
音楽:やまだ豊
プロデュース:渡瀬暁彦、飯田和孝
演出:吉田健、山本剛義、平川雄一朗
製作著作:TBS
公式サイト:http://www.tbs.co.jp/never-let-me-go/

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