『 I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』が原作から紡ぐ、小さな幸福の物語

『スヌーピー 』が描く幸福と救い

チャーリー・ブラウンという生き方

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 「小さな物語」こそが本質であると言ったように、「ピーナッツ」の世界では、大人は直接描かれず、彼ら子供たちの視点から社会が描かれている。オリジナルである漫画作品の愛らしい絵柄は子供にも人気があるが、その内容は逆に大人向けといっていいだろう。そこで描かれる登場人物たちは、作者のチャールズ・シュルツ本人の反映、もしくは彼の周囲の人間を基にしているといわれる。

 何をやっても大抵うまくいかないチャーリー・ブラウンは、失敗体験の累積から、自らのレーゾンデートル(存在価値)に悩まされている。そして、勝ち気な妹のサリーや、親友のライナス、5セントで精神分析をするルーシーなどに相談をする。そのライナスも、哲学的思考を日々めぐらせてはいるが、その反面、幼少期から毛布が手放せないという精神的問題を抱え、女王然として自己中心的な性格のルーシーも、自己評価ほど周囲が価値を認めてくれず、ベートーヴェンを敬愛する小さな演奏家シュローダーが振り向いてくれないことに苛立ちを感じている。

 このような不完全なキャラクターたちの交流で発生する摩擦は、チャールズ・シュルツ独自の人間観からきているが、鋭い洞察とユーモアや、幾分の偏見や皮肉がこめられた、この「小さなドラマ」は、たわいない漫画という「消費物」であることを超え、多くの読者の持つ個人的体験のドアをノックする。短所・長所を併せ持ったキャラクターたちが、とくに大きなことを成し遂げるわけでなく、チャーリー・ブラウンの凧が上手く上がらなかったりとか、晩ごはんがいつもより11秒遅れることにスヌーピーが抗議したりと、日常の本当に小さなことで思い悩み、逆にささいなことに幸せを見出したりすることが、読者に深い共感を与えるのだ。

 そういった、英雄的や啓発的でないドラマを映画化することは困難だが、逆に言うなら、そのような作品づくりは、現代においてむしろ貴重だといえるだろう。子供の観客のみならず、大きな夢の実現や、客観的幸福の追求に疲弊する現代の観客にとって、「ピーナッツ」の世界は、ある意味で「救い」と呼べるようなものになっているのではないだろうか。

 『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』は、しかし、ささやかながら個人の達成を描いてもいる。チャーリー・ブラウンのように、取り柄もなく、ぐじぐじと小さなことで落ち込みながらも、「できるだけ善良であろうとする姿勢」が、小さな小さな幸福を勝ち取るのだ。二元論的な、善と悪の戦いという定型がとりわけ支配的な、劇場用アニメーション作品が多いなかで、個人的実感を大切にする作品づくりは、今後のアニメーションのひとつの指針となり得るはずである。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』
公開中
監督:スティーブ・マーティノ  
配給:20世紀フォックス映画
吹替声優:鈴木福、芦田愛菜、小林星蘭、谷花音
(c)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation.All Rights Reserved.
PEANUTS(c)Peanuts Worldwide LLC
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