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映画の“アトラクション化”はどう展開してきたか? 渡邉大輔が映画史から分析

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アトラクション的な映画の行く末は?

 さて、以上の点を踏まえて、昨今の動向に対するわたしなりの考えをごく簡単に述べておきたいと思います。

 現在の映画のアトラクション化は、基本的には、いま述べた70~80年代以降の変化から地続きのものだと思います。ですが、やはり21世紀に新しくつけ加わった要素もある。それは、いわゆる「Web2.0」以降の新たな情報メディア環境とのかかわりでしょう。

 繰りかえすように、かつてガニングはアトラクション性という要素で、初期映画と80年代の現代映画の共通項を見いだしました。ただ以前、拙著『イメージの進行形』(人文書院)でも論じたように、このことはインターネット以降の映像環境にもほぼそのまま該当するといえます。

 たとえば、いまでいえば、俗に「6秒動画」とも呼ばれるTwitterの動画アプリ、「Vine」というのがあります。たった6秒の動画がTLを開いていると延々、ループ再生されるものです。だからこそその動画のネタは、だいたい一種の「大喜利」のような、脊髄反射的な笑いやショックを与える内容になっています。こうしたVine動画は、その仕様も含めて、19世紀末にトーマス・エジソンが発明した「キネトスコープ」で撮られた初期映画のシステムや内容そっくりです。あるいは、拙著でも論じたニコニコ動画の「踊ってみた」動画にせよ、またこれも若者に大人気の「ゲーム実況」動画にせよ、形式だけとれば、どれも初期映画によく似たようなコンテンツや興行が人気を博しています。

 いずれにせよ、わたしの見る限り、最近のハリウッド映画の題材は、どこかこうしたSNS上に流通するアトラクション的な動画群と共通するようなものになっているのです。

 どういうことかというと、たとえば、おおぜきれいかやけみおのVine動画でも、あるいはHIKAKINやはじめしゃちょーのようなYouTuberの動画でも、とにかくだれもがパッと見て笑える、驚けるという脊髄反射的で情動的な反応を狙っており、しかもそのネタがどんどんエスカレートしていっている。その結果として、昨今のネット動画のネタは、いわばどんどん「一発ネタ化」、かつ「出オチ化」が極端なものになっているのです。そして、こうした傾向は、一部のアトラクション化した現代映画のスペクタクルや映像表現にも見られるようになっていると思われます。

 わたしが最初にそのことを深く実感したのが、これも公開時に大きな話題を呼び、オスカーも獲得したアルフォンソ・キュアロン監督の『ゼロ・グラビティ』(13年)でした。

 冒頭の圧倒的な長回しをはじめとして、全編が精巧なVFXによる宇宙空間で展開される本作は、わたしたちにデジタルシネマ時代の新たな映像表現の可能性を存分に実感させました。が、一方で強烈に不穏さも感じたのは、いわば本作のきわめてYouTuber的な「出オチ感」でした。「こんなことやっちゃいました。すごいでしょ」という、「コンセプトのアトラクション性」です。要するに、『ゼロ・グラビティ2』は絶対に作れない。そしてそれは、たとえば「いろんな飲み物を炭酸飲料にしてみましょう!」などのはじめしゃちょーのYouTube動画と、あまり変わらないように思うのですね。

 これを「映画的想像力へのアテンション・エコノミーの侵入」と表現してもよいですが、ともあれ、ハリウッド、また大作映画でなくとも、たとえば『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(14年)、『リヴァイアサン』、そして、『ザ・トライブ』(14年)……など、いま、こうしたタイプの映画は、世界的にひとつの系譜的な潮流を作りつつあるように見えます。

 また、その一方で、個々のコンテンツのランダムアクセス性や冗長性がすっかり常態化しているデジタル環境を前提に、これとはまったく対照的に、あたかもオンラインゲームのごとく、より多くのひとびとが参入しやすく、あとからいくらでも共有・改変のできるシリーズ化の余白を残した「世界観」や「設定」をゆるくセットアップしておくことのほうに意を用いるハリウッド大作が台頭してきてもいる。こちらは、『アベンジャーズ』(12年)などのマーベル映画や、J・J・エイブラムスの作品などが典型的でしょう。

 おそらく現代のハリウッドのアトラクション化は、この「二極化」したふたつのタイプの映画のあいだで生まれているといえます。ただ、わたし自身は、『ゼロ・グラビティ』のような、前者のアトラクション映画に対して、あまりサステナブルな方向性が見いだせない、というのが率直なところです。

 そして最後につけ加えておけば、このように、一方で現代映画の典型的な徴候として「アトラクション性」ということが問題にされ、また他方で、それがはるか昔の初期映画の時代にすでにあったものだと歴史的な相対化がなされている。しかし、だからこそわたしたちはここで、アトラクション的な要素が希薄であった20世紀の古典的映画がオーソドックスな映画のあり方であり、21世紀の現代映画や19世紀の初期映画はそこからの進化ないし逸脱であったという見取り図そのものも、より広い視野から見直さなければいけないのかもしれません。

 今年のはじめに日本でもヒットしたトマ・ピケティの『21世紀の資本』をはじめ、現在、いたるところで「20世紀≒近代特殊論」が提起されています。わたしたちが長らく自明視してきた近代という時代こそ、長い人類の歴史から見れば、特殊な時代であったという考え方です。映画の世界もまた、アトラクション的でなかった時代の映画がむしろ「例外」であり、いまのような形の映画こそが「本来」の映画の姿なのだという戦略的な認識の転換もありえるでしょう。その意味でも、最近のハリウッド大作は多くのことを示唆してくれます。

■渡邉大輔
批評家・映画史研究者。1982年生まれ。現在、跡見学園女子大学文学部助教。映画史研究の傍ら、映画から純文学、本格ミステリ、情報社会論まで幅広く論じる。著作に『イメージの進行形』(人文書院、2012年)など。Twitter

■公開情報
『ジュラシック・ワールド』
配給:東宝東和
画像クレジット:Chuck Zlotnick / Universal Pictures and Amblin Entertainment
公式サイト

      

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