大森望が語る、『三体』世界的ヒットの背景と中国SFの発展 「中国では『三体』が歴史を動かした」

大森望が語る、中国SF『三体』の面白さ

 劉慈欣『三体』(早川書房)が、書店で目立つ位置で平積みになっている。中国のSF小説が日本でここまでヒットするのは異例のこと。知識人が弾圧された文化大革命から幕を開けた物語は、ナノテク研究者が主人公となる現代パートへと移り、「ゴースト・カウントダウン」という怪現象や3つの太陽を持つ星が舞台のVRゲーム「三体」などが描かれていく。本作を第一部とする三部作のテーマは、異星文明の侵略。この作品がヒットした理由と背景を訳者の1人である大森望氏に聞いた。(円堂都司昭)

「英語圏のSF読者にって、中国はまったく未知の大陸だった」

――中国で『三体』が刊行されたのは2008年で、2014年にアメリカで英訳版が出ました。

大森:訳者がケン・リュウということでアメリカのSFファンがまず話題にし、2015年にヒューゴー賞を受賞して爆発的な人気になりました。

――ファン投票によるヒューゴー賞はSF界で歴史的権威のある賞で、中国系アメリカ人のケン・リュウは2012年に短編「紙の動物園」で受賞していますね。

大森:「紙の動物園」はネビュラ賞と世界幻想文学大賞もあわせて史上初の三冠に輝き、ケン・リュウは一躍、アメリカSF界の大スターになりました。そのケン・リュウがみずから同時代のSF短編を翻訳しはじめて、長編として最初に手がけたのが『三体』でした。中国SFが英訳されたこと自体、これが初めてで、訳者も版元も売れるとは全然思っていなかった。初版は数千部だと思いますね。ところがすごく売れて、あれよあれよという間にヒューゴー賞まで獲ってしまった。アジアの作品ではもちろん、翻訳された作品がヒューゴー賞長編部門を受賞すること自体、これが初めてでした。中国で本格的に三部作が売れはじめたのは、これがきっかけですね。それまでも売れてはいましたが、たぶん合計100万部ぐらいだったのが、一気に2000万部を超えた。英訳も、三部作累計で150万部だそうですから、翻訳SFとしては空前の大ヒットじゃないでしょうか。

 そういう評判が入っていたこともあって、日本でも、昨年、『折りたたみ北京』(ケン・リュウ編)という中国SFアンソロジーが翻訳されると、意外なくらい注目されました。『SFが読みたい!』で日本SF、海外SFの1位を決める投票を毎年行っていますが、『折りたたみ北京』は翻訳部門1位になった(2019年版)。この本はケン・リュウが作品を選び、自分で英訳して中国圏のSFを英語圏にプレゼンテーションしたもの。『折りたたみ北京』によって日本でも中国SFへの関心が高まったし、同書には『三体』の一部を改作した短編「円」も収録されていました。そんな下地ができたところでついに満を持して『三体』日本語版が刊行されたわけです。

――大森さんはいつ頃から『三体』に関心を持ったんですか。

大森:ケン・リュウの英訳が出る前後で、タイトルだけは知ってました。もっとも、中国SFは専門外なので、注目したのは英訳版がヒューゴー賞候補になってからですね。『三体』が受賞した2015年のヒューゴー賞は、「パピーゲート事件」と呼ばれる組織票問題が起きて、大騒動だったんです。女性や非白人の受賞者が増えていることが気に入らない保守派の白人男性グループによるバックラッシュですね。「ヒューゴーを”正しいSF”の手にとりかえそう」的な運動を展開して推薦作リストをネット上に発表、組織票を募って、最終候補に多数の作品を送り込んだ。これにリベラル側が猛反発したり、勝手に候補にされた作家がノミネートを辞退したり。それで受賞作なしの部門も多かったんですが、長編部門の候補には中国SFの翻訳である『三体』が入っていたので、リベラル票を集めて受賞した。ヒューゴー賞の発表は全世界にネット中継されるんですが、このときは盛り上がりましたね。僕もリアルタイムで見てました。そのときは、まさか自分で翻訳することになるとは夢にも思わなかったけど。

 アジア系のSF作家は、それ以前から注目されてたんですよ。そもそも、テッド・チャン(『あなたの人生の物語』。表題作は映画『メッセージ』の原作)はアメリカ生まれだけど、両親は中国からの移民。前述のケン・リュウ(『紙の動物園』など)は中国生まれです。あと、『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』が日本でブレイクしたピーター・トライアスは韓国系アメリカ人。翻訳SFの中でもアジア系の作家の人気は高い。ただ、彼らはみんな、ルーツや生まれがアジアでも、アメリカで育ち、英語圏のSFの影響を受けて、英語で書いています。

 アメリカでは、ケン・リュウが英訳を始めるまで、中国のSFはまったく知られていなかった。ケン・リュウ自身、自分の作品が中国語に訳されたことをきっかけに同時代の中国SFを読みはじめ、その面白さを発見して、英語圏に紹介しなければという使命感にかられたわけですからね。その意味では、英語圏のSF読者にって、中国はまったく未知の大陸だった。そこから『三体』がドーンと来たから、ものすごくインパクトが大きかったわけです。

 最初はSFファンが騒いでいるだけだったけど、アメリカで、中国に対する関心は高まっていた。受賞当時、米中貿易戦争は今ほど激化していませんでしたが、すでに中国脅威論が話題になっていたし、中国のことを知りたいという欲求が広がってたんでしょうね。そこへ持ってきて、中国SFの英訳が初めてヒューゴー賞を獲ったというので、SF界を越えて注目が広がった。SFを読まない人までが手にとったし、オバマ前大統領やFacebook創始者のザッカーバーグも読んだという効果も大きかった。日本でのヒットも、それと同じようなコースですね。最初にSFファンが飛びつき、一般読者に広がっている。

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